▼『ビゴー日本素描集』清水勲 編

ビゴー日本素描集 (岩波文庫)

 浮世絵に魅せられて来日したビゴー(一八六〇‐一九二七)は、卓抜な諷刺画を数多くのこした。明治中期の日本を描いた貴重なドキュメントでもあるその中から、代表作「日本人生活のユーモア」シリーズを中心に六〇点のスケッチを収録。詳細な年譜・小伝等を付す――.

 どけた感じの絵柄だ.朴訥で不恰好な日本人が多いが,憎めない.明治の日本は,西欧近代の潮流に乗ろうとする「変貌」の道を一歩踏みだした国,しかし既存の文化が色濃く残り,それらが混沌として渦巻いていた.フランスの画家ジョルジュ・ビゴー(Georges Ferdinand Bigot)が来日したのは1882年.弱冠21歳だった.庶民の生活に洋服が入り込み,和装と奇妙な折衷のいでたちをしたインテリ層,一方で文明開化の影響とは程遠い庶民の生活.その落差はビゴーにとって,興味深いものだった.

 日本美術の真髄とは何か.若き画家は,日本の浮世絵に心惹かれていたという.しかし来日すると,浮世絵に対する憧れと現実には,大きな隔たりがあるのを感じたことだろう.華やかな色彩の家や往来を行き来する人は,どれもくすんだ色でしかない.しかし,それらが醸し出すエネルギーは,どの国にもないものだった.いつしか,ビゴーの関心は日本美術の研究から日本文化そのものへと移っていった.

 ビゴーの功績は,写真技術の発達していなかった明治日本の人々の生活を,鮮やかに活写していることに尽きる.彼が17年間にわたって描き続けた日本人とは,社会の底辺で暮らす人々から,鹿鳴館に出入りするような上流階級の生活までと幅広い.ビゴーは写実主義であったことが窺えるのだが,これは生半可な写真などよりもよほどリアルに,当時の人々の生活を現代に伝える.しかし,日本の美術史上でビゴーが評価されることはあまりない.貧しくも活力にあふれた日本の姿は,あえて誰も描こうとしないほどありふれていた.そこに光をあてたビゴーは,「銅版画」技術を磨くことに落ち着いてゆく.

 当初,ビゴーは浮世絵など日本美術の技法を学ぶつもりだった.来日してしばらくは,浮世絵師から彫師・摺師の技術を指南してもらったが,それらを短期間で習得することは断念せざるをえなかった.しかし,銅版画でこの興味深い国の庶民を描くほうに傾いていった.1887年には銅版画集を4冊発行することになる.この銅版画技術は,当時の最高水準をいくものだったが,ビゴーの作品は歴史や風俗史の挿絵くらいにしか使われていない.また,母国フランスでも,画家としての重要な時期を日本で過ごしてきたため,あまり顧みられることがないようである.根無し草のように漂いながら描き続けた絵だけが,ビゴーが日本に滞在し,人々の生活を記録した証となっている.

 ビゴーは,12歳でエコール・デ・ボザール(美術学校)に入学し,カロリュス・デュラン(Carolus-Duran)やレオン・ジェローム(Jean-Léon Gérôme)から絵の基礎を教え込まれ,21歳ですでにエミール・ゾラ(Émile Zola)『ナナ』の挿絵を描いて好評を博していた.ビゴーはこの小説の挿絵を17枚担当したが,人気作家ゾラと一緒に仕事をするなど,才能を認められる素地はあったとみるべきだろう.しかし,21歳の成功から1年と待たずに彼は来日する.

 来日したビゴーを驚かせたのは,日本人の醜悪な姿だったという.貧相な体に出っ歯,その容貌は必ずしも現代日本人にはあてはまらないが,日本人を奇異の目で受け止めたことは間違いない.デュランの指導により,ビゴーは人物を漫画調に描く術を会得していた.その格好の対象が周りにうようよしていることが,彼を面白がせた.本書は,ビゴーが残した作品の中でも,代表的作品『日本人生活のユーモア』全5冊の中から,60点を紹介するものである.諷刺が利いた絵ばかりで,日本人を小ばかにした印象はあるが,ほのぼのとした雰囲気がそれを微妙に隠している.そんなビゴーについて,日本で最初の職業漫画家,北澤楽天は1934年の『時事新報』で評した.

何んだか日本人が侮辱されているようで,見るとしゃくにさわりましたが,それでいて見ないでいられない面白さがありました.…中略…とにかく日本に新しい漫画を紹介した漫画界の恩人です

 それでも,ビゴーはおおらかな日本人の姿を描き続け,いつしかそれに愛着をおぼえるようになる.男性はふんどし姿で街中を歩き回り,女性は上半身を隠すことなく,風呂では混浴でくつろいでいる.西洋からするとその羞恥心のなさ,奔放さは驚きの連続だった.ビゴーは18年もの間,日本で精力的に活動し,日本人女性佐野マスと結婚して子どもをもうけた.そのかたわら,大いに遊んだが,それを絵の糧にすることも忘れていない.

 絵の手法は写実主義だったが,その背景にある「日本人の生活」にいかに潜り込んでいくか,その点にかけては,ビゴーは実践主義だった.書道や漢字に興味を示し,日本人との生活をともにしてすぐに日本語をものにした.さらに,ビゴーは教育者としての指導力も持っていた.来日したその年には,陸軍士官学校の画学教師を務め,3年目には中江兆民の仏学塾でフランス語の教鞭をとっている.兆民の私塾の絵も残したが,ビゴーの柔軟な適応力はすばらしかった.日本人女性を気に入ったビゴーだが,それは彼女らの恭順さ,小柄でもまめまめしく働くその愛らしさがツボにはまったのだった.その目で見なければ,絶対に描くことのできないことが芸術にはある.

 何人もの日本人女性と同棲を繰り返し,じっくりと習慣や特徴を観察した後,やはり絵に得たものを注ぎ込んだ.ビゴーには怖いものが2つだけあった.雷と地震である.しかし,礼儀正しく勇気のある人物で,隅田川を散策していたとき,1人の日本人女性が溺れているのを着の身着のままで飛び込んで,救出したことがある.ビゴーが画集『警官のたぼう』で「日本人は身投げか首くくりである」と書いたように,恋に破れた芸者が入水自殺を図る例は結構あった.そういう女性を,彼は助けたことがあったのであろう.

 気ままに日本生活を楽しんでいたかに見えるビゴーだが,時代の暗い影と無縁というわけにいかなかった.親日派としてのフランス人は,きわめて数が少なく,フランスとロシアは近い関係にあった.当時のフランス語は,現在よりも国際的通用の言語と評価されていて,ロシアは宮廷でフランス語を用いていた.ビゴーは日本の軍国主義化のにおいを敏感に嗅ぎ取っていた.中江と幾度となくかかわりを持ち,ビゴーは条約改正交渉や日本の自由民権運動に関心をおぼえたはずだ.自らオピニオン雑誌『トバエ』を発行し,時局諷刺を掲載し続けたのは,その表れといえるだろうか.ビゴーの絵を解釈し,都々逸や狂句などが『トバエ』にはふんだんに盛り込まれていた.ウラガミテツタロウとか佐野尚とかいった,兆民門下生が一枚かんだと編者(清水)はにらんでいる.

日本文掲載によって日本政府への「主張」を明らかにすることと,自由民権運動への精神的支援すなわち「連帯」の意を表したのであろう

 フランス公使館の関係者や政府事情に通じた人々との交流を,滞日中にビゴーは持っていた.したがって,ビゴーの日本政府を見据える目は,第六感にもとづく類のものではなかったと思われる.1894年には,イギリスの週刊誌『ザ・グラフィック』の特派通信員として日清戦争の取材に赴いたことが,国際政局への諷刺をさらに強めていった.日本に帰ってくると,日本の軍国主義をテーマに報道画にも着手しはじめる.《朝鮮の奪い合い》《アジアのナポレオン》…これは亜細亜の帝国の道を突き進む日本への危惧であり,警鐘であった.ドイツのヴィルヘルム2世(Wilhelm II)が唱えた「黄禍論」は,黄色人種の台頭がヨーロッパ文明やキリスト教文化の脅威になりうる,ということにあった.ところが,ロシアが極東進出の前衛となりつつも,イギリスとの減殺によりロシアの国威をそぐという,真の政治的目的がドイツ側にはあった.ここに隠されていたのは,いわばドイツによる対ロシア政策であったのである.

 日本国内では,ビゴーへの官憲当局の監視の目が厳しくなっていた.居留地におけるフランス人らの意見に反して,条約改正をしたイギリス政府の極東政策に対するビゴーの拒絶的な意見は,諷刺でしか表現することはできない.ビゴーは,その活動により自己の身の処し方を2つに絞られる.その一,治外法権を守られなくなる日本に留まり,毒の抜かれた創作活動を続けるか.その二,日本人妻と別れて本国へ帰るか.

 ビゴーは本国へ帰ることを選ぶ.妻と離婚し,息子を連れてフランスへと帰った.母国では,2ヶ月の兵役に従事した.それが終わると,フランス人の女性とすぐに結婚する.その後,ビゴーが日露戦争期に訪日したという伝聞が伝わっており,1902年の横浜からマルセイユへ向かう船の乗客名簿には,「G.bigot」という名が記されていることが確認されている.しかし,それがジョルジュ・ビゴーであるかの裏づけは取れていない.

 ビゴーの晩年は寂しかった.日露戦争が終わると,ビゴーの描く対象から”日本の面影”はほとんどなくなってしまった,と清水はまとめている.1907年にパリ郊外のビエーブルに移ると,竹を植えた日本庭園を造った.その20年後,心臓発作で死去.『明治文化研究』第8巻第6号に,松尾邦之助が「晩年のビゴー」を書いている.

ビゴーの最後を一緒に暮らした寡婦に逢いました.寡婦の話によると,ビゴーはこの近所の村人から「日本人」と呼ばれ,外出にはいつも着物であり,下駄をはいて村の子供を背におんぶしたりして,まるで日本にいたときと同じようにやっていたというんです

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Title: Georges Ferdinand BIGOT

Author: Georges Ferdinand Bigot

ISBN: 400335561X

© 1986 岩波書店