■「復讐するは我にあり」今村昌平

あの頃映画 「復讐するは我にあり」 [DVD]

 九州・日豊本線築橋駅近くで,多額の現金が奪われ惨殺された二つの死体が発見された.事件の容疑者として浮かび上がったのは,榎津巌という男である.しかし榎津は警察の追及をあざ笑うかのように,九州から浜松,東京で五人を殺したうえ,史上最大とも言われる重要指名手配の公開捜査をかいくぐって逃亡を続ける.時には大学教授,時には弁護士と称して,殺人,詐欺,己の欲望のままに女に明け暮れる冷血で大胆な榎津.驚くべき犯罪の才能をみせるこの男の行く末とは….

 岡県を発端に単独犯による連続強盗殺人事件は,北海道まで列島を縦断して“ケース”を重ねた.1963年,神出鬼没,78日間にわたる逃亡の末に逮捕された西口彰は,大学教授や弁護士を騙って複数の女性を事件に巻き込み,詐欺と窃盗行為にも手を染めた.社会的威信を犯罪に転化させた西口は,犯罪の凶悪さと巧妙さを両立させていたのである.史上初の重要指名被疑者の公開手配にもかかわらず,早期解決には至らなかった.彼の素性を暴き,逮捕の決め手となる情報を提供したのは,まだ眼が「曇って」いない年端のいかぬ子どもだった.高度成長に沸く日本の捜査陣,史上最大といわれる重要指名手配の公開捜査を嘲笑うかのような凶悪犯の実像.

 原作者佐木隆三は,10冊を超える取材ノート――「西口彰ノート」――をもとに西口(本作では榎津巌)の犯罪の「痕跡」をまず示し,次に犯罪にいたる「軌跡」を淡々と述べる「ノンフィクション・ノベル」形式を踏襲した.新約聖書ローマ人への手紙第12章第19節には,「主いい給う.『復讐するは我にあり,我これを報いん』」とある.罪への制裁は人の手ではなく,神の手によって行われるという.相対的でもあり絶対的な俯瞰ともいえよう.この映画化権をめぐっては,今村昌平黒木和雄深作欣二藤田敏八らが衝突することになった.佐木は口約束で各自に映画化を了承する態度を匂わせたため,松竹配給・東映・今村プロ・大映の間で争奪戦が起きたのである.

 監督が黒木であれば主演に原田芳雄,なぜか野坂昭如も主役に立候補するという面妖な展開をみせた.若者の狂気や暴力性にフォーカスするなら,黒木や深作も特段悪くない.しかし社会的威信の「安心感」や「盲信」を巧みに擬装して殺人を重ねた男の出自と来歴,そこで浮き彫りになっていくようで,実はまたぬるりと逃げる榎津巌の内面を包括する存在性.ここは人間の不可解な内部構造を無理無体として描くことのできる今村に任せて適切であった.榎津巌/緒形拳,榎津の父/三國連太郎,巌の妻/倍賞美津子,巌の情婦/小川真由美の個別的な飢餓感や憎悪は,向かい合うことで異常なエネルギーを連鎖させていくようで圧巻.

 彼らはみな,無自覚のうちに徹底した自己本位主義者.本作のキャッチコピーは,「惜しくない 俺の一生こんなもん…」.巌を取り巻く人間模様は,利己のために邪魔者の死を願うことも厭わない面々.その衝動的な実行力をもった理解不能な男を,誰も御することはできないように描かれる.作中で巌が殺害に及ぶ理由すら明確にされない「殺人」など,恣意と短絡性だけが際立っているが,このような存在を人間探究のマテリアルと捉えることに躊躇を感じさせる.むしろ具体的な犯罪行為が周囲の人間関係に痕跡として残したのは,無形の呪縛ともいうべき観念のドグマ.その断罪は人の手に委ねられる性質を超えているかもしれない.

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原題: 復讐するは我にあり

監督: 今村昌平

140分/日本/1979年

© 1979 松竹=今村プロ