富山県新港湾埠頭で,車が時速40キロのスピードで海に突っ込む.乗っていた地元の財閥白河福太郎は死亡したが,同乗していた後妻の球磨子は,かすり傷ひとつ負わずに助かった.やがて,夫に3億円の保険金が掛けられていることが判明し,球磨子は保険金狙いの殺人と疑われ,警察に逮捕される.新聞は球磨子を「北陸一の毒婦」と糾弾するなど,世間は球磨子の犯行を疑わないムードになっていた…. |
松本清張が1982年に発表した『昇る足音』(後に『疑惑』に改題).原作者自ら映画脚本に仕立て上げ,野村芳太郎が監督・製作を務める.田舎の資産家に取り入り後妻に収まった前科4犯のホステスが,保険金目当てに夫を殺害した「疑惑」.生育暦と行動傾向を知るほどに,毒婦鬼塚球磨子のドス黒い疑惑が噴出する.「北陸日日新聞」の敏腕記者は,球磨子の犯罪を断定したネガティブ・キャンペーンを張るが,原作では本件担当の国選弁護士が到達した「真実」に,正気を失った記者が忍び寄る.
原作は,陰惨なラストの余韻が絶妙だった.だが映画では趣向を大きく変えた.すなわち,国選弁護士と刑事被告人の協力関係の裏で,嘲笑すら応酬する抜きがたい「対立」を主題にしている.これによって,視覚的には華々しく,火花散る画が得られたというべきかもしれない.弁護人佐原律子(岩下志麻)の冷徹な高圧感,球磨子の情夫(鹿賀丈史)の軽佻浮薄ぶりも実に見事だが,何より黒髪ストレートで真っ赤な口紅でキメた球磨子(桃井かおり)の図太く毒々しい様相が圧巻.
インパクト絶大な本名を「これが“立花さよ子”とか“早乙女しず子”だったら,周りの反応も違うのに」と嘯くものの,球磨子は言霊を信じ翻弄されるほどしおらしい女ではない.彼女に“鬼クマ”の異名を冠したメディアには,大胆不敵でふてぶてしい女への憐憫は皆無,それに便乗する形で,警察も事件に使われた乗用車の運転者は球磨子であるという法医学鑑定を得て,真相追究に躍起となる.司法だけでなく第四権力(ジャーナリズム)を敵に回してビクともしない刑事被告人の胆力には,脱帽の念すら湧く.
殺人の擬装の正否をめぐる裁決が下った後,球磨子と律子は竜虎の牽制を行う.世界に棲み分けたように思える両者が,男を籠絡あるいは論破するという共通要素を嗅ぎ取った上での訣別には,確かに映画として映えるものがある.原作で見られた「北陸日日新聞」の記者の役割は,サスペンスより球磨子の情念の訴求力を重視した脚本と桃井の力演により,かなり削がれた結果だが,この作品に関する清張の脚本的采配と判断は誤っていないように思える.
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原題: 疑惑
監督: 野村芳太郎
127分/日本/1982年
© 1982 松竹=霧プロ