■「狼たちの午後」シドニー・ルメット

狼たちの午後 [Blu-ray]

 圧倒的な人物造形.爆発寸前のニューヨークを繊細な描写で綴る,シドニー・ルメットの傑作.うだるような暑さのブルックリンの午後.楽観的で無計画な二人の男が銀行を襲う.リーダーのソニーとパートナーであり,後に問題を引き起こすサル.取り囲む警官隊,熱狂する群衆,騒ぎ立てるマスコミ,そしてピザの配達人までもが,事態を限りなくエスカレートさせていく….

 ルックリンのチェイス・マンハッタン銀行支店で発生した実際の事件をドキュメンタリー・タッチで描くシドニー・ルメット(Sidney Lumet)の傑作.1972年8月22日猛暑の午後,「舌を垂らしてぜえぜえ喘ぐ犬」を形容する原題にも,本編のどこにも狼は登場しない.冗舌にして大声で喚き散らすしか能のない小男ソニーと,油断なく目配りするが怯えた表情を崩さないサル.無計画に銀行強盗を決行する彼らは,事前の下調べも怠り,間抜けたタイミングで大金を手にすることもない.不本意ながら,居合わせた客と行員を仕方なしに人質にとり籠城する羽目になる.

 元々TVドラマ制作出身のルメットは,少ない予算でワンシチュエーションの人間模様を描くのに長けた監督だった.映画製作においては徹底したリサーチで,計算された役作りを俳優にも求める姿勢を見せた.それが本作では,珍しくアドリブを重視するスタイルをとっている.「(逃亡先は)どの国に行きたい?」「ワイオミング」(一瞬の間)「いや,ワイオミングは国じゃない」.生死の隣り合せた局面で,動と静を演じ分けたアル・パチーノ(Alfredo James Pacino)とジョン・カザール(John Holland Cazale)のアドリブの掛け合いは,哀れなほど滑稽だが,頭の悪い凡人であればこそ,取り返しのつかない事態の渦中にある自覚も薄いのだ.オフ・ハリウッドでニューヨーク派のルメットの前衛的な視点とアプローチにより,全編にBGMもなく,目障りな演出や色調も本作にはない.

 2人の青年はベトナム帰還兵で,個人の来歴としても心に深い傷を抱えていることが,少しずつ明かされる.群衆と警察に包囲された銀行入口ゲートの外に出るソニーは,注目の的となり,一挙手一投足がリアルタイムでTV局に映像中継される.事件の前年に置きたアッティカ刑務所黒人暴動に言及し,彼は「アッティカ! アッティカ!」と絶叫すると,熱狂した群衆が万雷の拍手で英雄気分をさらに煽る.ところが,イタリア系白人のソニーは,アッティカを弾圧した側の人種であることの矛盾は誰も突いてこない.相棒のサルはといえば,「2度と刑務所には帰らない」と決意を語り,獄内の男色で犯された傷が癒えていない.ベトナム帰りで行き場もない彼らには,憂さを晴らすことや自己表現の手段を,非一貫した歪んだ形でしか思いつかないのだ.

 人質たちと一緒に食事をとり,この事件のTV中継をともに見つめるなかで,人質と犯人の奇妙な共感が芽生える「ストックホルム症候群」.性根の腐っていない小悪党であるだけに,心の通った人間的な感情がソニーとサルを救済すると思いきや,世界でも例のなかったこの劇場型犯罪に終止符を打ったのは,国家権力で国民を容赦なく圧殺する法執行機関,公安警察である.司法警察行政警察という観念が存在しない英米圏では,一般に,防犯と犯罪訴追が一体化した法執行を国家権力が容認している.陽炎が立ちのぼる炎暑の舞台ブルックリンが,いつしか日没後の空港に変わり,猛暑にあえぐ犬などどこにもいない.代わりに,失意に打ちのめされ目もうつろにパトカーに押し込められたソニーの表情が長々と映し出される.その呼吸は浅い.

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原題: DOG DAY AFTERNOON

監督: シドニー・ルメット

125分/アメリカ/1975年

© 1975 Warner Bros