■「ロッキー」ジョン・G・アヴィルドセン

ロッキー [Blu-ray]

 フィラデルフィアはサウスサイドのスラム.そこに賞金稼ぎボクサー(プライズ・ファイター)としてヤクザな生活をしているロッキーがいた.今,彼には新たな生きがいがある.ペット・ショップに勤めるエイドリアンに恋心を抱き始めたからだ.素朴な彼女は精肉工場に勤める兄ポーリーと共に暮している.4回戦ボーイのロッキーは,今日もラフファイトぶりで勝利をおさめるが,『お前のようなガムシャラなファイトぶりではゼニにならん』と,ジムをほうり出されてしまう….

 リウッドにおける1960年代後半から1970年代前半までの退廃的ムードの映画群は,カウンターカルチャーの潮流「アメリカン・ニューシネマ」と分類されるが,悲愴な雰囲気から挑戦者の挫折を描いたフィルムメーカーも,終わりの見えない閉塞感に行詰まりを感じていた.映画のオーディションに50回以上失敗していた無名時代のシルヴェスター・スタローン(Sylvester Gardenzio Stallone)は,本作の脚本をわずか3日間で書き上げ,プロダクションに売り込みをかけた.スタローン自身が主役ロッキーを演じることを絶対条件にしていたため,映画化に乗り出したユナイテッド・アーティスツUA)幹部は眉を顰める.メトロ・ゴールドウィン・メイヤー作品の配給権を取得してまだ間がなかったUAも,そうそう博打は打てなかった.

 監督はそれまでB級映画専門のジョン・G・アヴィルドセン(John G. Avildsen)に決まり,スタローンは俳優組合が定める最低金額,プロデューサーはなし,制作費はテレビシリーズ1本分(約100万ドル)36万ドルまで高騰した脚本料を2万ドルに減額という劣悪な条件で製作が開始されている.1975年のモハメド・アリMuhammad Ali)対チャック・ウェプナー(Chuck Wepner)のカード.優勢のアリに対し,全力で立ち向かい一矢報いるウェプナーのスピリッツに,スタローンは人を惹きつける「夢」を見出した.ヘビー級世界チャンピオンのアポロ・クリードが,ロッキー・バルボアを対戦相手に指名するのは,建国200年祭の余興としてである.ドサ回りの試合とヤクザの手先で日銭を稼ぐロッキーは,優れた素質を眠らせ,まともに努力したことがない.

 ジムの老トレーナーのミッキーとの確執と和解,親友ポーリー,恋人エイドリアンの存在――フィラデルフィアのスラムでロッキーが秘めた闘志に火をつけるのは,直面を避けてきた孤独と不安に真正面から向き合えた瞬間からである.ロッキーとスタローンは,同基軸のアメリカンドリームの体現者とみなされるのが「デフォルト」化しているが,その結果をもたらすまでに退廃ムードに慣れていたフィルムメーカーの「成功者への憧憬」を,スタローンは全身全霊でプッシュした.アリ対ウェプナーのマッチから受けた“天啓”に恥じない成果を生んだと見るべきだろう.ビル・コンティ(Bill Conti)の勇壮なテーマ曲《Gonna Fly Now》は,ロッキーと一体化をなそうとするスタローンのただひたむきに努力する姿と被って,自他の愛惜という価値と爆発力を率直に物語る.

 純粋な克己心をストレートに描くことは容易ではない.が,フィラデルフィア美術館前庭の階段を一気に駆け登るロッキーは,弦から放たれた矢の如く迷いがない.判定での敗北を喫するロッキーにとっての「真の勝利」は,恐怖と外圧に屈せず15ラウンド立ち続けるということ.それができれば,自分は一廉の人間――ゴロツキではない――と,誰よりも自分自身に対して証明できる.映画の巧拙を語る以前の次元で成立しえた,成功譚のハリウッド的ルネサンス.その発起点は紛れもなく本作であり,それはカウンターカルチャーの潮流の終焉時代のはじまりということでもあった.清冽な感動を素直に噛み締めたい名作である.

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原題: ROCKY

監督: ジョン・G・アヴィルドセン

119分/アメリカ/1976年

© 1976 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc.