■「バベル」アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

バベル [Blu-ray]

 モロッコ.幼い兄弟のアフメッドとユセフは,親から一挺のライフルを手渡される.試し撃ちとして,ユセフは山道を走るバスを狙って一発の銃弾を放った.その観光バスに乗っていたのが,アメリカ人夫婦のリチャードとスーザン.彼らはまだ赤ん坊だった三人目の子供が急死してから,夫婦の絆の亀裂を修復できずにいた.そんな時,ユセフの放った弾丸がスーザンの鎖骨の上に命中する.リチャードは血まみれのスーザンを抱えて医者がいる村へと走った.アメリカに残された彼らの幼い子供たち,兄のマイクと妹のデビーは,メキシコ人の乳母アメリアに連れられてメキシコに向かう….

 否の分かれた映画である.題名の暗喩は,アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ(Alejandro González Iñárritu)が着想した「創世記」11章"バベルの塔"より.世界の言語がただ一つだった時代,東方から移動してきたバビロニアの人々は,シンアル(シュメール)の地に安住を求めた.彼らは,石の代わりに煉瓦を,漆喰の代わりにアスファルト(天然)を用いて,天まで届く塔の建設を開始した.神の崇拝ではなく,建築の名を挙げるために行われた冒涜に神は怒り,人々の言語を混乱させ,各地に散らした――ディス・コミュニケーションは,人間の傲慢さの帰結として招いた悲劇として,モロッコ,メキシコ,東京で3つのエピソードが撮影された.

 モロッコの撮影だけで,アラブ語,ベルベル語,フランス語,英語,イタリア語,そしてスペイン語が飛び交ったという.人種と同じように言語にも坩堝があるとすれば,撮影クルーと俳優,現地のエキストラが十全に理解しあえるわけがない.しかし,ゴンサレス・イニャリトゥは「境界」を形成するものは,言語,文化,人種,宗教ではなく,自分たちの中にあると考え,本作はコミュニケーション不足と,不全とは異なると説く.差別や迫害を生む境界は,相互理解の不全であり,慈愛を欠落させていることこそ人類の悲劇,と大胆に位置づけるものだ.国境を隔てた人々との間にみられる意思疎通の難しさ,至近にある家族関係での相互理解の難渋――その根底には,人間が普遍的にもつ利己性が横たわる.

 さらなる問題は,事象を自己本位に解釈し行動する人々の「無自覚な営み」にある.その咎は,社会集団でいうマクロ,メゾ,ミクロの三段階いずれにおいても認められるはず,との問題提起が籠められている.3つの家族の悲嘆の叫びは,一発の銃弾が貫き結ばれる.それぞれを冷徹に俯瞰する「神の視点」は,並列描写で存在感を高める.これを補強するのが,美術監督ブリジット・ブロシュ(Brigitte Broch)の職人技.カットの色づけは,アース・オレンジ(モロッコ),ブライトレッド(メキシコ),繊細なマゼンタ(日本)と分けられた.先進国には冷ややかな色が振られているが,暖色も混ぜられ孤高の国など存在しないことを示す効果を生んでいる.

 聾唖の高校生を演じた菊池凜子の力演が注目されるが,母の自殺を受け,欲望の処理と受容を求めて彷徨する痛ましさが,全身に漲っている.全霊をあげた女優の打ち込みといっていいだろう.窮地に陥った3つの家族を救済するのは,言語からなるコミュニケーションではなかった.むしろ近親者が無言のうちに伝えるノン・バーバルな関わりが,母の腕でまどろむ赤子の安らぎをもたらす.本作では,力強い映像と音楽が「言葉」を補い,代弁するという映画の総合的可能性を機能させようとした.その試みが,描くテーマとよく合致していることが特徴的で,独特の深みをもつ映画である.

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原題:BABEL

監督: アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

143分/アメリカ/2006年

© 2006 Paramount