「死」を考えることは「生」を考えること…精神科医でありまたキリスト教の信徒でもある作家が82年の人生で続けてきた死をめぐる思索の軌跡を綴る.自身の病,妻の死と厳しい試練に見舞われながら希望を失わない生き方の秘密が明らかに――. |
陸軍幼年学校で「名誉の死」を刷り込まれた軍国少年は,20歳までには死ぬ覚悟を固めていた.戦死は,「殺害」を被ることに他ならないことに気付いた彼は,戦慄を禁じ得なかった.戦後,精神科医の道を歩んだ小木貞孝は筆名“加賀乙彦”を名乗り,人間社会の狂気と内省を主題とする小説を著す.その背景には,東京拘置所医学部技官時代に出会った「ゼロ番囚」――死刑あるいは無期懲役刑の囚人――を診察,彼らの態度を通じた死生観を探求した経験があった.
フランス北部フランドル留学中の自動車事故での臨死体験.9歳年下の愛妻の突然死.いつまでも記憶の底から払拭されることのない大空襲の惨劇と,生き延びた後の猛烈な飢餓感.そして,81歳に達した加賀を襲った心臓発作,再度の臨死体験――死の影が,これまで加賀の眼前に閃きながら無数に通り過ぎて行った.そこにはきわめて個人的な「死」もあれば,集積された恐怖の象徴としての「死」もあったのだ.キリスト教の自己犠牲の精神を受容し,洗礼を受けたのは1987年のクリスマス(58歳)のことであったという.
門脇佳吉神父と4日間の対話を経て,光あふれ,パウロの回心を実感できた感慨に,第三者には理解が及ばない.だが主観的な特異体験というものが,信徒への道を開く.加賀の祈りは,原爆と原発の存在しない世界への願いに収斂されている.死を紙一重で免れ続けた者の言葉に,俗人は耳の傾け方を知らないもの.有限と無限に,宗教と科学と死の三側面から沈思する謙虚に学ばなければならない.残念ながら,それらに深く食い入る政治への信頼という面では,本書からは悲嘆のトーンしか読み取ることはできない.
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原題: 科学と宗教と死
著者: 加賀乙彦
ISBN: 9784087206241
© 2012 集英社