■「パーフェクトワールド」クリント・イーストウッド

　1963年アメリカ．テキサス及びアラバマ州全土に敷かれた緊急捜査網をかい潜って，脱獄犯ブッチ・ヘインズは，8歳の少年フィリップを人質に逃亡を続けていた．物心ついたころから刑務所の壁と向き合って生きてきた孤独な男ブッチの犯した罪は，脱獄，誘拐，殺人にまでエスカレートしていた．追跡するテキサス州警察署長，レッド・ガーネットはブッチを初めて監獄に入れた張本人．再び犯罪者と追跡者となったふたりの男は，宿命の糸に操られるかのごとく，砂塵をあげて荒野を疾走した…．

　反社会的な行為で罪人となった男の根源にある欲求を，幼い少年の繊細な内面に共鳴させ，鑑賞者の感性へと静かに挑んでくる物語である．協力しての破獄者の凶悪さに対比させられたブッチの正常な感覚を導入部で明かす「序」，人質にとられた少年フィリップとブッチが徐々に心理的距離を縮めていく「破」，子どもを虐げる者に対するブッチの憤怒から展開する「急」．一九六〇年代初頭の長閑な逃避行を呈す物語に，育ての父を殺害した「凶悪犯」，父が不在で母の宗教観に縛られている「少年」，少年ブッチの更生を願って親許ではなく，少年院に送った「州警察署長」の心の機微が的確に嵌め込まれている．劇中で犯罪学者と警察署長が差し向かい，司法が執るべき少年保護手続の葛藤と苦悩を語る．それが映画全体を貫く隠喩となる．暗黙のうちに示唆される「完全なる世界」とは，寸分の狂いも破綻もない世界．逆説的だが，その条件が満されることのない現状を鑑みることで，そのような世界がはじめて想像できる．

　理不尽な暴力，欺瞞が満ちている現実に，人の心の純粋さは抗(あらが)えない．父から授けてほしかった愛情を，想像の上で模した振る舞いをフィリップに与えるブッチは，無意識に「賢い父」「愚かな父」の尺度で世の男親を判断する．前者は家族の安全と引き換えに，ブッチに新車を譲る男性．子どもを厳しく叱り付ける妻を「もういいじゃないか」と諭し，子どもをやさしく慰めるさりげない「親子関係」を眺めるブッチの表情は，複雑に曇っている．続いて出会う家族――祖父母と孫――に，「かつての自分」と「養父」を投影させることから生じる激しい怒りと衝動が，思いがけない悲劇を彼にもたらす．幼くして抑圧的な生活を宗教の戒律から強いられていたフィリップに，ブッチは願い事を一つずつ叶えてやる．理想の父親を演じ，自分の悲惨な幼少時代への手向けとしているのだ．擬似的な父子関係に束の間，まどろむ二人．だが〝子ども（＝絶対的弱者）を殴る〟という「愚かな父性」をもつ男に，ブッチは容赦なく牙を剥く．その恐怖を煽る行動に，戦慄するフィリップは決断を迫られる．

　幼少期の「記憶」というルーツから逃れることは誰にもできず，ブッチは幸福な子どもと不遇な子どものどちらを見ても，内心を乱さずにはいられない．ケヴィン・コスナー（Kevin Michael Costner）が役の幅を広げるために受けたとされるブッチ役だが，コスナー自身，コーン畑の広がる土地で幼少期を過ごした．どこか懐かしそうに，この役に内面を馴染ませる．荒々しさと穏やかさが共存する風貌に秘める屈折した心と，その傷．純真そのものといった出で立ちのフィリップ――おばけのキャスパーは反則だろう――だけが，ブッチの内面にやさしく触れる．その様子は，おとぎ話のような刹那の美しさに満ち，その瞬間だけは「完全なる世界」に限りなく接近する．誰しも子ども時代の記憶に，苦々しさというものがある．本作のもつ凄味は，観るたびに鑑賞者の心の琴線に触れ，その糸は，おそらく各自が子どもの頃に感じ取っていた苦痛や願望につながっていることを，想起させることにある．

　多様な形であれ，過去の悔恨に対峙する瞬間というものが，人生の各段階には訪れる．クリント・イーストウッド（Clint Eastwood）は，ブッチの姿を通して，われわれにその〝痛み〟を追体験させる．不条理に涙を飲んだ自己の体験をブッチに重ね合わせた時，鑑賞者は，高波のように襲いくる感情を味わうのであろう．いつしか，ブッチの中に所在なさげなフィリップを，二人の寄り添う姿に過去の自分の〝輪郭〟を人は見出す．ゆえに，感情の昂揚を禁じえないのである．重要な脇役・州警察署長に徹したイーストウッドは，当初は監督業に専念し，出演するつもりはなかったという．しかし共演を切望したコスナーに応えてその役柄を演じた．児童福祉に適切に介入できない司法側の人間の苛立ちを，頑迷に周囲へぶつける．それは，繊細な心の動きを大胆に示してみせたコスナーに対する定旋律となって，「不」完全な世界の倦怠な大儀を余韻として伝えている．

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クリント・イーストウッド

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原題： A PERFECT WORLD

監督：クリント・イーストウッド

138分／アメリカ／1993年