■「ベニスに死す」ルキノ・ヴィスコンティ

ベニスに死す [DVD]

 ドイツの高名な老作曲家アッシェンバッハは静養の為に赴いたベニスで,究極の美を体現したような美少年タージオに出会う.ゆるくカールした金髪と澄んだ碧眼の瞳.まるでギリシャ彫刻のようなタージオにアッシェンバッハは次第に心を奪われてゆく….

 徹した審美眼に反比例するように,芸術家の懊悩は深まるものなのだろうか.谷崎潤一郎江戸川乱歩は,超俗と耽美の世界に生きた.それゆえ,鏡に映る自分の素顔を直視することに堪えられなかったという.そこには老醜をさらすばかりの貌があったからだ.グスタフ・マーラーGustav Mahler)が1902年に完成した5番目の交響曲《第5番嬰ハ短調》は,本作の一つの代名詞に値する存在感.ウィーン時代の「絶頂期」に生み出され,ハープと弦楽器の官能性を帯びた調べは忘れがたい.さらにもう一つの代名詞ともいえるのは,高名な作曲家アシェンバッハが遭遇してしまった美少年タジオの造詣であった.

 ルキノ・ヴィスコンティLuchino Visconti di Modrone)の見出したビョルン・アンドレセン(Björn Johan Andrésen)の素材としての美の具現.ドイツから静養先のベニスに向う蒸気船の中,「若さ」にしがみついた滑稽な老人をアシェンバッハは軽蔑の眼差しで見る.アシェンバッハの才能と研鑽の賜物である芸術品(音楽作品)とは,縁もゆかりも感じさせないその愚昧の人は,髪を染め,化粧を施し,花を胸につけて威勢を主張していた.「醜い」――心の中でそう言葉にしたであろうアシェンバッハが着いたベニス当地の高級ホテル.そのサロンで見かけた少年タジオは,露に濡れた妖艶な薔薇の如く,完膚なき美しさをもって空間に佇んでいた.

 アシェンバッハが雷撃のごとく打たれたのは,タジオは何の努力も代償を払うことなく,“あるがままに”貴公子たりえていたという真実である.かつて,美の「成立条件」について友人アルフレッドと論争した記憶がアシェンバッハに去来する.美や純粋さは「精神の営為」であることを持論としていたアシェンバッハに対し,所与と天授の「感覚」こそが本質とする友人は,彼を烈しく難詰した.ギリシア最盛期の彫刻作品を思わせるタジオの神々しさは,理性を美の起点とするアシェンバッハの思想を一瞬で粉砕してしまった.熱病に浮かされたようにタジオの姿を追い求めるアシェンバッハは,床屋で髪を染め,化粧をし,胸に花をつけて町に出た.

官能に打ち負かされ,本当の汚れに身をさらせ.それが芸術家の喜びだ.健康など味気ないものだ.特に魂の健康はね.芸術は個人の道徳と無関係だ,さもなければ君は最高の芸術家だ.ところで,君の芸術の根底には何がある?平凡さだ

 船の中で出会ったあの老人と自分が同じ姿となっていることに,彼は気付いていただろうか.リドのビーチ,ベニスの街角を徘徊するその体は,すでにベニスに蔓延していた疫病に囚われていた.砂浜で倒れこむアシェンバッハの視線は,光輝を放つタジオの美貌をとらえ,今わの際にも恍惚の表情を浮かべたままである.絶望の渦に生まれた歓喜の波.初老の芸術家は,それまで信じた美学の「滅び」の受容をもたらす究極の美の「発見」を成しえたのである.いかなる言辞を弄しても,美と破滅の両極から人は逃れえない残酷な到達は審美の極致というほかはない.

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原題: MORTE A VENEZIA

監督: ルキノ・ヴィスコンティ

131分/イタリア=フランス/1971年

© 1971 Alfa Cinematografica S.r.l. Renewed 1999 Warner Bros., a division of Time Warner Entertainment Company, L.P.