■「市民ケーン」オーソン・ウェルズ

市民ケーン [Blu-ray]

 ある日,ひっそりとした大邸宅で新聞王のケーンは「ばらのつぼみ」とつぶやきその生涯を終えた.彼の生涯をまとめた記録映画のプロデューサーのロールストンは作品の試写を見て,どこか物足りない思いでいた.「もっとケーンという人物に深く切り込んだ内容にしたい.彼は一体どんな男だったのか?」.ケーンというほかに類を見ない人物の謎を解くヒントが,彼の遺した言葉「ばらのつぼみ」にあると確信をしたロールストンは,記者のトンプソンにその秘密を解くように指示を下す….

 二次大戦中,ハリウッド入りした24歳の青年に与えられた映画製作上の権限は,1本につき15万ドルの報酬,総売上の25%保証,製作・脚本・監督・主演の決定権を委ねるという破格のものだった.青年オーソン・ウェルズ(George Orson Welles)に申し出たのは,メジャー・スタジオの一つRKO.代表ジョージ・シェーファー(George Schaefer)ほか経営陣の英断の背景には,財政難に悩むスタジオの新活路は,ユニークで才能豊かな人物に采配を任せた先にあるという動機があった.RKOは資本家ジョセフ・P・ケネディ(Joseph Patrick "Joe" Kennedy)の撤退という痛手を,ネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)の求める斬新性をもって,いかに映画製作で乗り切るかを課題としていた.1938年10月30日,当時23歳のウェルズは,SF小説宇宙戦争』のラジオ放送中に火星人襲来の速報を挿入した.フィクションであることを知らされていなかった全米のリスナーは大混乱に陥り,グローヴァーズ・ミルズでは火星人撃退の自警団が結成され,発砲事件と放火事件まで起きた.

 ウェルズ自身が「大人のためのハロウィン」であったことを言明したが,市民のパニックの鎮静には時間を要した.この件は行き過ぎの観はあったが,ウェルズの才能にRKOは目をつけることになった.ほぼ前例のない待遇で彼を迎え入れたハリウッドは,紙芝居的なストーリー性をもった映画媒体に,サスペンスとドラマという方向性を付与することを欲していた.従来それを具体化した作品が,本作であると解釈されてきた.荒廃した壮大な邸宅「ザナドゥ」で“薔薇の蕾”と謎のメッセージを残し死去した新聞王ケーン.複雑怪奇なジグソーパズルのように,彼の人生は実像が見えてこない.謎解きの要素を冒頭に提示し,技術的には手前と奥の被写体に同時にピントを合わせるパンフォーカス,その撮影のためのセットは大規模に組まれ,ロー・アングル撮影のために天井と高い床にカメラを仕込ませた特殊な方法が採用された.また故人となった権力者の人生を,時制を遡り検証していく脚本も練成,影の多い人物の実像が次第に明らかになるというドラマ要素を強調した.その中で,今際の際にケーンが残した言葉“薔薇の蕾”の意味するものの輪郭が現れてくるのである.

 巨万の富を築いた人物にも真に得られなかった肉親の情と,悔恨の念.聳える城ザナドゥ内外の絢爛さに反し,ケーンの生涯は孤独で悲痛に満ちたものだった.ただ斬新な映像技術を駆使して大仰にアピールするあざとさがあり,その部分に才能を恃んだウェルズの未熟さ,蛮勇が印象としては残る.しかし新たな手法はRKOの独自性やスタイルに大いに示唆を与えるものだった.少なからぬ起点をハリウッド映画に刻み込んだという点で,本作の意義は計り知れぬほど大きいといえるだろう.ウェルズは極秘体制で撮影を進めたが,公開前から新聞王ケーンのモデルは誰かということに世論は沸いた.それは実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolph Hearst)であった.「サンフランシスコ・エグザミナー」をはじめ50以上のメディア機関を所有し,カリフォルニアには豪邸「ハースト・キャッスル」を建設.ケーンの政界進出失敗,愛人問題はハーストと共通しており,ハーストが飼っていた犬の名前は"Rosebud"(薔薇の蕾).誰が見てもケーンのモデルは歴然としていたことから,当然ハースト本人の激怒を買った.

 ゴシップコラムニストであったルーエラ・パーソンズ(Louella Parsons)は,ハースト系の紙面を使いRKO映画のボイコットを行った.またメジャースタジオM-G-Mに持ちかけ,本作の全てのネガとプリントの焼却を84万2,000ドルで実施しようとした.さらに,ハースト側は「ウェルズはコミュニストで徴兵忌避者」という批判を新聞の紙面で展開した.このような圧力に対し,ウェルズは抗戦の姿勢を崩さず,公開を妨害するなら告訴も辞さないとRKOに突きつけ,製作を続行したのである.映画が公開されると,批評家からの肯定的評価を多く得た.しかしハースト陣営の追撃は続き,上映館の確保を難しくさせ,宣伝広告も系列誌で一斉に差し止めた.そのため,興行的には15万ドルの赤字で終わっている.処女作で作品の好評と資本側の憤懣を同時に得たウェルズは,その後もハリウッドでの製作を希望したが,果たせずフランス,イタリア,モロッコ等で悪条件の製作に従事する羽目になる.彼が仕事を選ぶに選べず,「呪われた巨匠」という名称で呼ばれるようになった所以である.しかしハーストもウェルズも世を去った今,当時のメディア戦略からは解放されて作品自体が煌々と光芒を放っている.

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原題: CITIZEN KANE

監督: オーソン・ウェルズ

119分/アメリカ/1941年

© 1941 Mercury Productions,RKO Radio Pictures