無学で身寄りのない19歳のアラブ系青年マリクは傷害罪で禁固6年の判決を受け,中央刑務所に送られてくる.刑務所の中は,様々な民族や宗教が入り混り対立し合う,モザイクの様相を呈していた.ある日,マリクは刑務所内の最大勢力であるコルシカ・マフィアのボス、セザールから囚人の1人を殺すよう依頼される.葛藤の末「任務」を果たすことに成功したマリクは,セザールらの一派に認められ,弱肉強食の刑務所内で徐々にその地位を確立していくが…. |
宗教史のうえでは,古代イスラエルで霊感により神の言を預かり,神と民衆とを仲介する民族的指導者の一群が出現した.旧約聖書のモーセ(Mosheh),イザヤ(Yeshaya),エレミヤ(yirmya),エゼキエル(Ezekiel)など,彼らは「預言者」と呼ばれ,終末論的な国家危機に体制批判者として共同体を導き,その後,多くは処刑された.本作の舞台は,多様な民族や宗教を背景にもつフランス中央刑務所である.
檻の中では,アラブ勢力としのぎを削る勢力コルシカ・マフィアの幹部セザールが幅を利かせている.フランスでは人種的偏見の増長を避けるため,現在では人種別人口統計をとっていないが,アラブ系移民だけでも約7%が存在しているという.19歳のアラブ系少年マリクは,冷酷な環境を生き残るため,セザールの手足として給仕から雑用,殺人までも請け負う中で,コルシカ系囚人とアラブ系囚人の間を泳ぎ回り,抗争を調停し,いつしか指導者への道を歩み出す.
獄内の最下層から権力掌握の階段を駆け上がるマリクのような生き方を形容するのに,ジャック・オーディアール(Jacques Audiard)は,うまい表現をなかなか思いつかなかった.マリクは,虎視眈々と機を窺い,ついにはセザールを駆逐する反逆者で,出所後はアラブ系組織から大幹部の扱いを受けるまでに成長した.彼は最後の預言者ムハンマド(Muḥammad)などではなく,体制批判者として共同体を導いた象徴としての預言者なのである.
娑婆に出た後は,それなりの地域でアラブ・中東系マフィアを従える「戦闘的布教」の指導者となることは想像に難くない.ただし,ヘブライの預言者たちは神の言葉をすべて一人称の言葉で語り,指導力をもって新しい社会の変革を促した.そのような「神と人との仲介」を使命とする預言者に摸されるほどの予見が,マリクには与えられていないことが,大きく目立つ"穴".その器は,迎えられた組織で,せいぜい有能な人材をリクルートする程度だろう.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: UN PROPHETE
監督: ジャック・オーディアール
150分/フランス/2009年
© 2009 Why Not Productions, et al.