▼『司馬遷と史記』エドゥアール・シャヴァンヌ

司馬遷と史記 (新潮選書)

 父,司馬談の意志を継ぎ,“宮刑”という屈辱的体験の中から生み出された「史記」.著者司馬遷が辿った人生,思想を掘り起し,古代ヨーロッパの歴史家との比較研究を試みたユニークな史記研究――.

 馬遷『史記』以前に,40世紀にわたる民族の歴代正史の道はない.本紀12巻,書8巻,年表10巻,世家30巻,列伝69巻及び「太史公自序」1巻を併せた130巻の52万6,500字.ヘロドトス(Herodotus)やトゥキディデス(Thukydides)の『歴史』と並び,『史記』は史策の不滅的記念碑.エドゥアール・シャヴァンヌ(Edouard Chavannes)は,本書により,バートン・ワトソン(Burton Watson)の史記研究の60年以上前に,ヨーロッパにおける古代中国史研究の水準の高さを示した.

 『司馬遷 史記の世界』を著した武田泰淳も,この事実に驚嘆を隠さない.ギリシア人やローマ人が歴史を個人の才覚と思想で整理していったのに対し,司馬を生んだ中国は,歴史を非個人的な層位のものとして編纂する土壌を有していた.本書の構成は,第一章「史記の著者」,第二章「武帝の時代」,第三章「資料」,第四章「方法と批判」,第五章「史記の運命」.中国の年代記はその出現以来,「正確性」「簡潔性」「他の東洋民族に対する記録の『優越性』」という性質をもつとシャヴァンヌは述べている.

中国の歴史の真の偉大さは,普通いわれているようにその遼遠な古さにあるのではなく,前九世紀の中葉まで,絶えることなく遡りうる確実性と正確性にある.…中略…近代科学がたまたま碑文などを整理していくつかの顕著な出来事を知るだけの時代に,中国はすでに詳細で年ごと,月ごとに厳密に記録された年代記をもっていたのである

 史記の叙述形態は,年代紀「本紀」,人物史「列伝」.年代紀(記)の後に伝記を置くのは,歴史の輪郭を描くために採用された司馬の新手法であり,古今の歴史家の洞察と情熱の規範とされるようになったスタイルである.漢の将軍・李陵の擁護に回ったために武帝の逆鱗に触れ,後天的不具者に貶める宮刑――先祖の祭礼を行うことも禁じられた屈辱も甚大――にも史家の執念の火は消し去られていないことに,普遍の感動が喚起される.

 司馬は,諸子百家の派閥を離れ,古来の典籍を読破し本紀,表,書,世家,列伝という独特の諸形式をなした.史家は才・学・識の三つの長所を備えるべきで,史に三長ありと称される.この理念は,正史「二十四史」の一篇である『唐書』において「史記」に端を発する年代記の形式に象徴されている.人間が逃れられない悠久の運命の記録体の範.それは司馬遷の生涯の業からの訓導であり洞察であろう.

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Title: NTRODUCTION DES MEMOIRES HISTORIQUES DE SE-MA-TSʻIEN

Author: Edouard Chavannes

ISBN: 9784106001673

© 1974 新潮社