■「インサイダー」マイケル・マン

インサイダー Blu-ray

 アメリカ3大ネットワークのひとつ,CBSの硬派報道番組として人気の高い「60ミニッツ」プロデューサーのローウェル・バーグマンは世界の経済市場に君臨している巨大タバコ産業を番組で取り上げるために,全米第3位の売上げを誇るブラウン&ウィリアムソン社で,かつて研究開発部門の担当副社長であったジェフリー・ワイガンド博士にアドバイザーを依頼する.その時,バーグマンのジャーナリストとしての鋭い嗅覚は,彼の異常なまでの用心深さの裏に何かがあると感じていた….

 織に秘匿された悪事を暴き出す「内部告発」は,ジャーナリズムの好餌となる.組織的に守られ,隠蔽される悪質な犯罪行為を行政機関・新聞・雑誌・TV等のマスコミといった組織外部へ通報することで,許されざる組織犯罪を摘発することができる.1968年から続く米国CBS放送“60 Minutes”は,60分の中で3つの主要ニュースを取り上げる.視聴者や他局をあっといわせるスクープ,名物記者マイク・ウォレス(Mike Wallace)の鋭い追及は,他の報道番組を圧倒し続けてきた.かつて,ある題材で番組の重大セグメントを,放送直前に潰そうとした勢力があった.題材とは,嗜好品としてすでに世界的に認知されていた「タバコ」であり,タバコに含まれるニコチンの依存性・有害性をめぐる攻防が描かれる.60 Minutesの番組プロデューサーと,大手タバコ会社ブラウン&ウィリアム(B&W)社・元研究員の壮絶な覚悟で,タバコに関する業界ぐるみの欺瞞が世に問われた.孤高な男たちの灼熱の衝突を描き続けてきたマイケル・マン(Michael Mann)の歴代作の中でも,最高峰に位置する社会派ドラマである.

 ジェフリー・ワイガンド(Jeffrey Wigand)の内部告発が放映されてから,1990年代半ば以降,タバコ会社に対し健康被害に関する訴訟が多発した.2000年には,フィリップ・モリス社ら5社のタバコ・メーカーに対して,1,448億ドル(約15兆6,000億円)という天文学的な額の賠償金が発生した.本作のタバコ会社や人物は,すべて実名で登場してくる.七大タバコ会社幹部が,「タバコに中毒性はない」と米議会で証言する映像も実際のものだ.1980年,フィリップ・モリス研究所行動薬学班でニコチンがネズミの脳に及ぼす影響を研究し,1988年,B&W社の副社長に年俸30万ドルという好待遇で引き抜かれたワイガンドは,ニコチンの有害性について十分認識していた.ニコチンには中毒性があり,タバコを吸えば,心臓と肺を通ってニコチンは脳に達する.健康を害し心臓病やガンのリスクを高めるタバコに含まれる有害物質は,ニコチン以外に数千種類に及ぶ.アメリカの公衆衛生局長は,ワイガンドの見解を真っ向から否定する説を公表した.当然,これは虚偽であった.さらに,パーラメントマルボロラッキーストライク,ケントなどの銘柄には,タバコの味を向上させるために「クマリン」という物質が添加されていた.クマリンには発ガン性がある.ワイガンドは,タバコの中毒性を訴えるレポートを会社に提出するが,情報を口外することを逆に固く禁じられた.信頼していた弁護士に預けた資料は,弁護士が会社と通じていたために失うことになる.そして,会社からワイガンド家族への不気味な脅迫が開始されたのであった.

 一般に,組織内での活動は,不透明になりやすく,組織内の悪事や不正は,公開されにくい.したがって,不正は隠蔽・加工され,組織の都合で公開されることになる.このような悪弊はびこる組織の体質を打開するには,内部告発が大きな効力を発揮する.内部告発は,組織への不満,上司への不満,第三者からの要請,不正や悪事への嫌悪感,派閥抗争,解雇されたことへの報復などから起きるとされている.「真実」を社会的公正の観点から世に問い,社会に対する違法行為や犯罪を糾弾し「公益」に結び付け,正当な告発理由から監督官庁・警察・検察等の取締当局,その他外部(マスコミ・消費者団体)など,適切な機関になされる必要がある.それとともに,告発者の想像を絶する心理的負荷について考慮されなければならないだろう.近年,企業の不祥事のスクープは,80-90%近くが内部告発によるものと理解されてきている.内部告発者の苦悩を表現するため,ワイガンドを演じた当時35歳のラッセル・クロウ(Russell Ira Crowe)は体重を20キロ増やし,老けて見せるため頭髪を抜いて臨んだ.ワイガンドと風貌が似ていることから,クロウに白羽の矢が立てられたのだろうが,やはり20年の差は埋められていない.映画のワイガンドは,40代後半くらいにしか見えない.しかし,それ以上にクロウの気迫が,年齢面の上方的限界に挑戦していることが素晴らしい.

 相対するもう一人のインサイダー,60 Minutes 気鋭のプロデューサーのローウェル・バーグマン(Lowell Bergman)はアル・パチーノ(Al Pacino),40年間報道番組の第一人者であり続けた老獪な記者マイク・ウォレスは,クリストファー・プラマー(Christopher Plummer)がそれぞれ演じる.火花が散る演技の応酬に息を呑む.パチーノとプラマーの腹の底から響く怒声は,長らく忘れることができない.

あんたはビジネスマンか?報道人か?会社を危うくしている?ふざけるな!重役連中は報道のあり方を危うくしている
マイク,マイクだと!! ウォレスさんと呼べ!!

 13歳から喫煙者であったクロウは,本作に出演してもヘビースモーカーだった.どうしても禁煙の意思が続かないと吐露した.バーグマンは番組企画を機に,禁煙に成功したという.製造物責任法(PL法)の認知が高まった時期,タバコ会社は顧客の健康に責任を負うべきとした社会的な声は,賠償金の高騰で一つの方向性を決定づけている.民放の一番組が権力構造に挑んだ結果,勝利を手にしたことをどう評価すべきかは,社会に突き付けられ現在も続く重い課題である.ワイガンドは,1993年3月にB&W社を解雇され,同社の不正を告発後,高校教師を続けた.映画は最後まで,ワイガンドを脅迫した人物や指示した黒幕が明かされない.映画のように劇的な告発劇と,ワイガンドが鉄壁な意志でそれをなしえたかは,スタンスがやや誇大な印象.しかし,むろん映画が渾身で訴えかける社会倫理の追求,という確たるテーマは微塵も曇っていない.巨大資本を血液に存在する企業への迎合など,手ぬるいプロパガンダに毒されはしない姿勢を高く評価したい.

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原題: THE INSIDER

監督: マイケル・マン

158分/アメリカ/1999年

© 1999 Touchstone Pictures