■「恐怖の報酬」アンリ・ジョルジュ・クルーゾー

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『恐怖の報酬』Blu-ray

 中米ベネズエラの街ラス・ピエドラス.500km先の油田で起こった火事を消すために,マリオら4人の荒くれ者たちが,大量のニトログリセリンを運ぶ仕事を請け負う.少しの振動で爆発しかねないニトロ.命がけの仕事だが,4人は一攫千金に挑む.2台のトラックに分かれ決死のドライブを開始するが,行く手には恐るべき難関が待ち構えていた….

 トログリセリン.爆発力の高い液体状の薬品で,無機のオキソ酸である硝酸とグリセリンの化合物.僅かな衝撃,熱,摩擦で爆発するが,殺傷力は高い.アルフレッド・ノーベル(Alfred Nobel)によりダイナマイトとして実用化されるまでは,火薬よりも威力の大きいニトログリセリンが活用されていた.その取扱いの難しさから,運搬上の爆発事故も数多く起きていた.本作は,そのような危険を承知の上で,チームを組んであえてその運び手を買って出た男たちの話だ.彼らは生きた心地もなかっただろう.ただ,それも初めのうちだ.目的地へ辿り着くためにいくつもの障壁を乗り越え,任務遂行後の報酬だけを目的として道を進んでいく中で,疑心と開き直りが頭をもたげた境地に差し掛かるようになっていく.それに伴い,人間性もメッキが剥がれ,あるいは変容していくのである.好事魔多し,というラストは緊張状態の続いた往路とは違い,心の弾む復路だからこそ生きている.いつ爆発するか分からないニトログリセリンを抱いての旅路は,些細な刺激が車体に加わろうものならそこでトラックもろとも粉微塵になる.

 爆薬と一蓮托生の大仕事の本質を,ジョーは言い得ている.「報酬は運転代と恐怖の代金だ」.マリオは吹き溜まりの町ラス・ピエドラスを「入ることは簡単だが,出ることはできない監獄のような町」と蔑む.身の縮みあがるような恐怖と見合った対価があるかどうかは,その金銭的価値の尺度で測るしかない.いわば危険と恐怖の「身代」というわけだ.底辺で燻っている輩が志願した仕事に失敗し,落命したとしても石油会社は痛くもかゆくもない.あまり劇中で説明されないことだが,爆発物のニトログリセリンがなぜ,火災の消火手段となるのだろうか.まず油田での火災であるため,水の消火活動が不可能であることに理由がある.火災現場で大きな爆発を起こし,現場の可燃物を吹き飛ばした後に酸欠状態を起こして火を鎮めるという荒療治なのだ.さらに,ニトログリセリンは分解すると,二酸化炭素と窒素と少々の酸素になり危険なガスなどを発生しない.そのため,爆発力の強さと相まって油田の鎮火に効果を発揮するのである.アンリ=ジョルジュ・クルーゾー(Henri-Georges Clouzot)は,寡作の監督だった.胸を患い5年間も療養生活を送り,監督業よりも脚本家としての活動のほうが多い.34歳で監督デビュー後,10本ほどしか作品を撮っていないが,脚本はサスペンスばかり15本ほどだ.非常に粘着的な際どい人間観察のノウハウは,本作で遺憾なく示されている.

 巻煙草の葉がトラックの爆発と爆風で掌から吹き飛んでしまうシーン,重油にまみれたジョーを轢き倒し,殴りつけるマリオの非道さ,はたまた当初は剛毅に見えたジョーが実は臆病者だったという実態,いずれも人間性の虚実を生々しく描き出している.149分の前半1時間は,アンニュイで堕落した男たちの困窮生活が冗長なほど映し出される.ところが,後半の油田を目指す危険な運搬の段になると,前半とはうって変わって緊張の連続が鑑賞者にも強いられる.この落差があってこそ,サスペンスにドラマ要素が加味される.腹を括って出発した彼ら4人だが,500キロの道のりを消化していくうち,徐々に疲弊し狂気に魅入られてくる.「闘争か逃走か」のホルモン,アドレナリンが絶えず分泌されている状態であった.僅かな衝撃で車や岩をも吹き飛ばす危険物との同道,というのが要諦であり,当時はまだ,知名度も低かったニトログリセリンを主役に据えたことの成功も疑うべくもないが,同志であり好敵手でもある3人を失いながらも,危険を克服し大金獲得に浮き立つ男に訪れた最期は,あまりにあっけないものだった.「恐怖」「欲」の対比が末路となって,緩急の際立つラストシーンに凝縮していることがフィナーレとして出色である.

 主演のイヴ・モンタン(Yves Montand)は元々シャンソン歌手として活躍していた.フランスの国民的象徴とされる歌手エディット・ピアフ(Édith Piaf)の寵愛を受け,1946年に出演した「夜の門」で,主題歌の「枯葉」を歌ってヒットさせた.本作では,ニヒルで野心むき出しのコルシカ人マリオを飄々と演じ,ダンディズムを提示して見せている.以後,フランスではジャン・ギャバン(Jean Gabin)に次ぐ役者としての期待を一身に背負い,「さよならをもう一度」(1961),「パリは燃えているか」(1966)などで男臭さに磨きをかけた.本作は,設定とは異なり南米では撮影されず,フランス南部にセットを組んで撮影された.マリオの恋人の看板娘リンダを演じたヴェラ・クルーゾー(Véra Clouzot)は実生活ではジョルジュ・クルーゾーの妻であり,彼は自分の映画製作会社を彼女にちなんで「ヴェラ・フィルム」と名付けて自作に出演させ続けた.ヴェラとの新婚旅行の思い出にちなみ,本作のセットはフランス南部に完成させたものだという.

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原題: LE SALAIRE DE LA PEUR

監督: Henri-Georges Clouzot

149分/フランス/1953年

© 1953 CICC,Filmsonor,Vera Films, Fono Roma