■「ソーシャル・ネットワーク」デヴィッド・フィンチャー

ソーシャル・ネットワーク [Blu-ray]

 2003年.ハーバード大学に通う19歳の学生マーク・ザッカーバーグは,親友のエドゥアルドとともにある計画を立てる.それは友達を増やすため,大学内の出来事を自由に語りあえるサイトを作ろうというもの.閉ざされた“ハーバード”というエリート階級社会で「自分をみくびった女子学生を振り向かせたい」.そんな若者らしい動機から始まった小さな計画は,いつしか彼らを時代の寵児へと押し上げてゆく.若き億万長者は何を手に入れ,そして何を失うのだろうか….

 ヴィッド・フィンチャー(David Fincher)は,「ファイト・クラブ」(1999)で暴力クラブに耽溺する若者の"安らぎ"を描いた.過度の刺激に身を曝さなければ,「去勢」された現代人のエナジーは復活しない.そんな含意を,本作でフィンチャーは再来させている.2000年代半ば,Facebookで全世界6億人のネットワークを作り上げ億万長者となったマーク・ザッカーバーグ(Mark Elliot Zuckerberg).米・日・独の総人口を合計したユーザー数の獲得は,「ソーシャル」がネット社会に限定されていることを考慮しても,恐るべきポテンシャル.他のSNSと比較し,Facebookの大きな特徴は「実名登録」であった.仮面舞踏会のように,素性を明かさぬ交流が常態化している土俵で,敢えて実名同士で接する.現実には希薄になった,とかまびすしいface-to-faceの関係性を,ネット空間に構築する野心がまさに受けた.

 大学時代,ガールフレンドにそっぽを向かれたザッカーバーグの憤りは,古今東西の欲求や願望を餌に会員クラブを作ることに向けられた.そのために要するアイデアを他者から拝借,親友を共同経営者に迎え"The Face book"は開始される.その"The"を取り払うことを助言するショーン・パーカー(Sean Parker)の存在は軽視できない.Facebookを非公式に援助し続けたパーカーは,ファイル共有サービスNapsterの設立者,酒と女と美食に目がない遊び人風だが,甘い汁の上手な吸い方を知っている.SNSの広告の煩わしさから,利益拡大に執心しないザッカーバーグに,「サービス名をシンプルにしろ」と颯爽と言い残し,その後も助言を与えた知恵袋だった.膨大な情報を言葉として小声・早口で畳み掛けるザッカーバーグの承認欲求は,人と人を繋ぐ事業を公共財化することの愉悦で代理的に満たされる.

 母校ハーバード大から,イェール,コロンビア,スタンフォードアイビーリーグに拡大していった彼のSNSの原型は,自然に富と権力,背信と嫉妬,専横を呼び込む.さながらパンドラの函の創造者となってしまったザッカーバーグがリスクを自覚するのは,親友を経営陣から追い落とし,彼やアイデアの考案者であると主張する人物から告発される際においてである.巨万の富を築いた代償に,気づけば彼は孤立していた.脚本のアーロン・ソーキン(Aaron Benjamin Sorkin)は,そのことをザックバーグを取りまく女性陣の描き方で単純化して見せた.女性は「トロフィー」か「敵」のどちらかという位置づけである.キモいオタクに嬌声を上げる女性などいない.冒頭でガールフレンドがザッカーバーグに穏便に別れを告げようとしていても,彼にはその真意は図れない.

 手前勝手に話題を振り,格下の女子大生に優越感と主導権を行使しようとする無粋なトレーナー姿.ステレオタイプ的には精神発達が未熟といわれかねない.心理学の防衛機制のうち,「補償」「昇華」は社会的成功を達成する背景になると考えられる一方,挫折や新たな劣等感を生じさせる場合があるという.ザッカーバーグに適合する状況であり,対面型のコミュニケーションでは敬遠される人間に,個人的魅力は備わっていない.しかし,彼のもち得た商才と金権は強烈なものである.「ファイト・クラブ」で露見した身体感覚を鋭敏にすることでの悦びと対極にあるように見えて,本作のディス・コミュニケーションに埋没していく若者は,人間が普遍的に求める"安らぎ"の変形である.ラストでFacebookにアクセスし,連続的に繰り返されるクリック.憐憫を誘う音に聞こえてしまうのは,モニターに照らし出される天才の目が異様に虚ろだったからだろう.

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原題: THE SOCIAL NETWORK

監督: デヴィッド・フィンチャー

120分/アメリカ/2009年

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