▼『魔の系譜』谷川健一

魔の系譜 (講談社学術文庫)

 正史の裏側から捉えた日本人の情念の歴史.死者の魔が生者を支配するという奇怪至極な歴史の底流に目を向け,呪術師や巫女の発生,呪詛や魔除けなどを通して,日本人特有の怨念を克明に描いた魔の伝承史――.

 や蝶に姿を変えて霊が飛来することが信仰され,精霊の宿る樹木に先祖もまた宿ると崇められる.ススキの穂や茅の束,それらに依ることで,実体のない霊魂は存在を現世の人々に知らせる.それを人間の中に"ghostly"(霊的なもの)が息づいている.それを小泉八雲は包括的かつ流動的な観念である「霊魂」ととらえた.戊辰戦争前に讃岐に遣わされた明治天皇勅使は,崇徳上皇の御陵の前で魂の鎮めを祈っている.

魔とは何であろうか.純粋に精神的なものでなければ,純粋に物質的なものでない.純粋に個人的なものでなければ,純粋に集団的なものでもない.歴史的であるにはあまりにも超歴史的であり,超歴史的であるにはあまりにも歴史的である.むしろこれらを接合させるための支柱として存在し,接合点に,燃えるもの,その炎のゆらめきが魔である

 "ghostly"は,祟りとなって700年の時間が経過しても消滅していないとリインカーネイション(再生)という畏怖である.非業の死を遂げた者の情念は怨念となって,天下擾乱の呪力となると信じられた風土が,確かにこの国にはある.相良親王の亡霊に圧されて遷都した桓武天皇の挿話に見られるとおり,不滅の魂は「魔」を帯び現世を慰撫するどころか,黄泉の国の王となって為政者を悩ませる.

魔の中に自分があり,自分の中に魔があるという個人的な体験をあじあわなかったものはさいわいなるかな.魔に憑かれている自分を解放したいとおもったり,自分の中にしばられ,とじこめられている魔が,その窮屈な囲(かこ)いをぬけ出したがって,叫び声をあげるのを聞いたことのなかったものは,本書には無縁である

 民俗宗教における霊魂観,“思想的存在=ホモ・サピエンス”がいかに認識しているかのシンクレティズムは,単一の宗教からの考現ではなく,文化・宗教間の接触に伴う現象一般の端的理解として論じられてきた.本書の論考は,死者と生者の対峙の「考現学」.その画期は,柳田国男折口信夫が形をなしえなかったとされる論点であり,“谷川民俗学”の基礎をなしている.

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原題: 魔の系譜

著者: 谷川健一

ISBN: 4061586610

© 1984 講談社