■「マイ・フェア・レディ」ジョージ・キューカー

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 ロンドンの街で花売りをしている生意気な娘イライザは,仕事と趣味が音声学だという態度が傲慢なヒギンズ教授のレッスンを受けることになった.礼儀作法から話し方まで徹底的に教育されたイライザは,ロンドン上流階級の舞踏会でハンガリー王女だと言われるまでの変身を遂げる.しかしイライザが変わった時,今度はヒギンズ教授自らが学ばなければならないことがあった….

 貌に衰えの影が見え始めたオードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn).しかし“ドブネズミ”と侮蔑される下層階級の花売り娘イライザを演じ,無理のあるダミ声で下劣な言葉をまくし立てても,正装時のたおやかさは依然として圧倒的である.余興としてイライザの挙措,身形を「矯正」する実験をスタートする言語学者ヒギンスは,ロンドンの高級商店街"Mayfair"でも通用する淑女"Fair lady"の創造を期した.発音の示す地域性は,すなわち出自というアイデンティティの証明である.彫像ガラテアに恋焦がれたキプロス島の王ピュグマリオーンを憐れみ,美神アフロディーテはガラテアに命を吹き込んだ.かくして2人は結ばれた――有名なギリシア神話の一齣を,ウィリアム・ギルバート(William Gilbert)は戯曲化した.15歳でその舞台を鑑賞したジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)は,神話の男女を言語学者と下品な花売り娘に翻案して戯曲「ピグマリオン」を書き上げた.

 バーナード・ショーは戯曲に2つの結末を用意していた.本作で採用されたのは,上流階級の「外見」「内面」を手に入れたイライザは,恩師ヒギンスと結ばれるというもの.もう一方は,没落して無一文となった青年フレディを選び,イライザは彼と花屋を営む結末である.フレディは,地位と名声を築いたヒギンスとは対極に思われる青年だった.実はどちらを選んだにせよ,イライザは下層階級からの「脱却」に成功したという含意は通じている.1916年にバーナード・ショーは「ピグマリオン」の続編を書いているが,女性不信でマザー・コンプレックスのヒギンスよりも,女性としての価値を認めてくれるフレディとの生活にイライザは安息を見出す.しかし新たな問題は,2人とも実務能力は皆無であったことだった.仕方なく夜学の商業学校に通い始めるイライザに,ヒギンスは今度はイタリック書体を教えるのである.上流階級で通用する言葉遣いやエチケットの教育から,実務教育へとシフトしていったところに,原作の幅広さがある.

 イライザの眉目麗しさがメッキとして剥がれ落ちるかどうかは,忍従と応用が試される新たな教育場面で明らかになる.その経緯も興味をそそられるものだが,ミュージカルの題材としては退屈かもしれない.有名スターの起用にこだわったワーナーは,当時無名のジュリー・アンドリュース(Julie Andrews)を見送り,出演料100万ドルでヘプバーンを起用.しかし彼女の歌は,一部を除いてマーニ・ニクソン(Marni Nixon)が吹替えた.NYから招いた講師の指導の下,歌のレッスンを5週間受けたヘプバーンだが,ミュージカルで通用する才能はなかったということだろう.製作費1,700万ドルを費やしながら,初公開時は500万ドルの損失を出した映画となったが,セシル・ビートンCecil Walter Hardy Beaton)の衣装デザインは豪華絢爛.舞台となるエドワード王朝時代のデザインに加え,現代的な流行も取り入れた衣装は全シーン通算で約1,000着.アスコット競馬場と舞踏会のシーンだけで400着もの衣装が作られたという.

 ガラテアの創造主ピュグマリオーンは,ガラテア自身の「自我」を問題視する男ではない.バーナード・ショーの戯曲とその映画化は,ピュグマリオーン(ヒギンス)の意図と采配の結果,ガラテア(イライザ)に訪れる「尊厳の自覚」を具体化した.後に教育心理学用語となった「ピグマリオン効果」は,教育者の態度が学生の意欲とパフォーマンスに多大な影響をもたらすことを説明する概念である.恣意的な動機から,高所からイライザにお仕着せで躾を行うヒギンスも,その教育自体が彼女の人間性を愚弄したのではないかと自責の念を覚える.これは,教育の指導者が受け手に対して常に考慮すべきことながら,無自覚のうちに蔑ろにされやすい問題といえよう.映画ではアフロディーテの権限をも有したピュグマリオーンとしてのヒギンスが成立している.バーナード・ショーが用意した2つの結末と一方の採用までの葛藤に,ヒギンスの意向に対するイライザの「意思」の意味は包含されている.

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原題: MY FAIR LADY

監督: ジョージ・キューカー

173分/アメリカ/1964年

© 1964 Warner Bros. Pictures