■「飢餓海峡」内田吐夢

飢餓海峡 [DVD]

 昭和22年に青函連絡船沈没事故と北海道岩内での大規模火災が同時に起きる.火災は質屋の店主を殺害し金品を奪った犯人による放火と判明.そして転覆した連絡船からは二人の身元不明死体が見つかった.それは質屋に押し入った三人組強盗のうちの二人であることが分かる.函館警察の弓坂刑事は,事件の夜に姿を消した犬飼多吉という男を追って下北半島へ赴く….

 後の混乱と屈辱を凌ぎ,最底辺層から社会的地位を獲得していった人間の因業を描いた水上勉飢餓海峡』は,凡夫たる人間を殺人という犯罪に追いやる境遇,その残酷なテーゼを抉るように描き出した.原作に優るとも劣らない水準で,映画媒体の作品化に成功した特長をもつ本作は,1954年9月26日に起きた海難事故――洞爺丸転覆と,同時期に発生した台風15号マリー通過による岩内大火――に着想を得ている.沈没した青函連絡船5隻の中に,洞爺丸が含まれていた.事故により失われた人命は計1,420名,さらに大火による死者は33名であった.2つの惨事に乗じて,殺人を犯し遺体を事故現場に紛れこませ,大金を手に逃げおおせた犬飼多吉は,金を元手に事業を興し成功を収めてからは,慈善事業に注力する.彼の地位を脅かすものは,皆無と思われた.

飢餓海峡 それは日本のどこにも見られる海峡である.その底流に我々は貧しい善意に満ちた人間のどろどろした愛と憎しみの執念を見る事ができる

 事件から10年,当時生活のため犬飼のもつ強奪金から3万4千円の施しを受けた芸者杉戸八重が犬飼の社会貢献を新聞記事で見かけた.いてもたってもいられず,感謝を述べようと舞鶴まで恩人に会いに行く.そこで犬飼は自分の汚れた過去を知る八重を手にかけるのであった.荒ぶる津軽海峡は,人の心に眠る善悪の彼岸を波濤で打擲する.10年前に2人の男を撲殺した鬚面の大男は,大会社の経営者になってからも恵まれた体躯を衰えさせていない.犬飼はその膂力を証明するかのように,そして積み上げてきた慈善によっても,かつての悪徳は希釈されていないことを確認するかのように,純粋な感謝と愛情をもって来訪した無辜の娼婦を殺害する.人間は自己保身のためならば,どんな罪をも犯す可能性がある.したがって,忌み嫌われる悪魔や鬼には,人間のもつ凶悪な相が模されているのである.

戻る道ないぞぉ,地獄の道七筋あれど,われ戻る道わ一筋もない

 超自然の不気味さ,どこまでも罪の意識を負わされる恐怖を,イタコ信仰の描写が語っている.青森下北半島に上陸し,恐山に寄った犬飼は,民家でイタコ口寄せの乱舞を目撃した.罪を犯した犬飼は恐慌,逃走し,女郎屋楼の一間で恐山の雷鳴稲光に怯える彼を八重は面白がり,口寄せを演じてみせる.左幸子の物の怪然とした演技が凄まじい.犬飼に会いに行った狂態,たった一つ犬飼が残していった指の爪を愛おしそうに頬ずりするフェティシズム.彼女の妄執に感化された恐怖の果ての衝動的殺意に説得力をもたせる三國連太郎もすばらしい.八重には犬飼への執念しかないが,犬飼の方には彼女に対する恩讐と恐怖がある.耳に残る犬飼のくぐもった関西弁,八重の聞き取りにくい津軽弁の噛み合いの悪さが,なおさら真実の心の通わせ合いが不可能となってしまった2人の心情を,悲痛をもって思わせるのだ.

 犬飼の2つの犯罪は,隠匿し続けることはできないものだった.青函連絡船に乗り護送されていく犬飼を,般若心経の大音声の響きに包まれた津軽海峡がもろとも呑み込んでいく.蒼黒の海に木魂する刑事の絶叫.生き抜くための悪事の直後,人間的な優しさにほだされて人援けをするという矛盾,それは気まぐれであったかもしれない.人間のもつ善悪の両義性であり善行が,その後のさらなる所業を招く――めぐる因果の応報は,善悪にかかわらず因の果実をもたらすのである.その帰結も,やはり善悪に拘泥するものではなく彼岸と此岸を,荘厳なフィナーレで描き切る.ドグマではない救済や慈悲は,人間にいかなる形で垂れてくるものか.長く余韻をもって続く読経の響きは,人間それぞれの人生の軌跡,その顧みられない暗部に向けた贖いの自責を喚起させるだろう.

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原題: 飢餓海峡

監督: 内田吐夢

183分/日本/1965年

© 1965 東映東京