大正7年,盲目の女旅芸人おりんは山間の阿弥陀堂で大男・平太郎と出会い,地蔵堂などを泊まり歩く奇妙な二人旅が始まった.ある日平太郎がいない間に,おりんは香具師仲間の別所彦三郎に帯をとかれてしまう.全てを見た平太郎は,ノミを片手に走り去る.2人は別れて旅を続けるが,後に再会し結ばれる.しかし,平太郎は別所殺しの殺人犯・脱走兵として追われていた…. |
越後の高田瞽女3人で盲目の女性旅芸人「瞽女」は絶えるとされ,本作はその唄が聞ける最後の映画となった.男性の「座頭」とは違い,瞽女は全国的組織をもたなかった.人情の機微を強く打ち出す松竹映画とは一線を画す松竹ヌーベルヴァーグ“三羽烏”,大島渚は小山明子,篠田正浩は岩下志麻,吉田喜重は岡田茉莉子と結婚して松竹を退社している.
長部日出男により名づけられた日本式ヌーベルヴァーグは「若々しい潮流」.独自の批評眼やリアリズムが目を引く.瞽女屋敷の掟を破り「はなれ瞽女」となったおりん(岩下志麻)の孤独な門付巡業,そこに付入る男たちの卑劣さに,甘い情緒はない(西田敏行が胡散臭すぎる).原作にはないおりんの末路をきっちり描いているところに,それすら風物詩となった容赦ない残酷さがある.
すなわち飛び立つ烏の群れ,野晒しになる髑髏.娯楽に乏しい寒村では瞽女唄は歓迎され,段物・口説・流行唄の芸は伝統芸能の域にまで達する.豪雪地帯を盲目の女芸人が黙々と行脚する様を収める宮川一夫の撮影は,失われた日本への哀切感を「原風景」ととらえる篠田の哲学を象徴するほどに美しい.とりあえず薄汚れたように見える岩下でも,汚泥にまみれることも厭わないおりんにしては清潔すぎるか.
盲目の女性が生業として可能であるのは按摩,女郎のいずれかしかないとされた時代,瞽女が風習化されていた雰囲気はよく伝わってくる.上越,佐渡を中心にロケーションは80箇所に及び,日本の景観を縫うように瞽女は往く.若狭の片手観音堂で,憲兵隊に追われる平太郎(原田芳雄)に再会したおりんの激しい感情の揺れ動きに,寄る辺ない寂寞で閃いた刹那の生命力を感じさせる.
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原題: はなれ瞽女おりん
監督: 篠田正浩
117分/日本/1977年
© 1977 東宝