約一五○○人の乗客を乗せたひかり一○九号,博多行は九時四十八分に定刻どおり東京駅十九番ホームを発車した.列車が相模原付近にさしかかった頃,国鉄本社公安本部に一○九号に爆弾を仕掛けたという電話が入った.特殊装置を施したこの爆弾はスピードが80キロ以下に減速されると自動的に爆発するというのだ.さらに,この犯人は,このことを立証するために札幌近郊の貨物列車を爆破する…. |
ハリウッドの「タワーリング・インフェルノ」(1974),邦画も「東京湾炎上」(1975)「動脈列島」(1975)と負けずにディザスター・フィルムが続く.1975年は,パニック映画の豊作年だった.仁侠作品からの脱却を図る東映は,高倉健,宇津井健を対立軸にした豪華キャストを揃え,テロリスト,国鉄,警察との入り組んだ攻防劇を描く挙に出る.1964年の開通以来,近代的交通手段の信頼を築く新幹線を爆破し,世を震撼させる.1975年に山陽新幹線が博多にまで開通したことに目をつけた東宝は,国鉄への撮影協力も打診したが,国鉄は全面的に非協力の姿勢を貫いた.製作費3億円は,当時としては破格の予算だった.しかしゲリラ撮影や模型撮影で手間取り,予定は2ヶ月遅れ,封切りの2日前にようやく完成となる.
興業的には,邦画のパニック映画実績の乏しさ,東映の任侠イメージなどから,大ヒットには恵まれなかった.しかし,約20年後に製作された「スピード」(1994)に「80キロ以下に速度を制限すると爆発する」を提供したアイデアの秀逸さ,そして凶悪犯としてのみ描くことも可能であった3人の主犯の人生における挫折の丁寧な描き込み,そこに高度成長への批判を暗示する.当時の邦画では珍しいノワール調は,アメリカン・ニューシネマの影響が見て取れる.とりわけ,犯行の動機がシンプルな反体制思想であることが逆に深い.自転車操業の中小企業の経営者沖田哲男は土地を抵当に取られ,社は倒産した挙句,一家離散.沖縄から集団就職で上京してきた大城浩は,血を売って身銭を稼ぐ日々.元過激派の闘士古賀勝は,内ゲバに疲れ果て逃げるように生きている.
彼らの挫折に圧し掛かるように,高度成長期の象徴「新幹線」は順調そのもので事業計画を達成している.社会に対する鬱憤を晴らすため,国力のシンボルを破壊し,国に一泡吹かせてやるのだ――彼らの逃亡計画は,杜撰だがそれなりの希望がある.ハーレーダビッドソンを買って外国を放浪すること.革命が成功した国(キューバ?)に逃れること.漠然とブラジルへ向かうこと――国鉄から強請り取った500万ドルで,3人はバラバラに国外へ散ることを夢想した.高倉健の陰のある表情は,生活に破れた男の哀しさがある.高倉の純粋な意味での悪役は,本作でしか観ることができない.革命理論に傾倒する古賀役の山本圭の逃亡と末路も忘れがたい.パニック映画だけでは終わらせない,ドラマも描いてみせるという製作側の吐く気炎が,個々のエピソードには感じられる.
傷を嘗めあうように結託する犯人に対抗する警察と国鉄の共同戦線.その不備が綻びとなり,事態の収拾を遅らせるところなどはパニック映画の定石を守るものだ.文明の利器をターゲットにした大規模テロというプロットの中で,減速・即・爆破のスリルを持たせ,しかし犯人の心情に配慮した情緒も忘れず盛り込む.その均衡がうまく計られた映画になっており,旧さも上映時間の長さも欠点とは呼べない.本作の海外版「Crisis Express 109」では,上映時間を大幅にカットし再編集されている.カットされたのは,3人の犯行動機につながる挫折や個人的な事情であった.つまり,海外版では彼らの人格が抹消され,単なる凶悪テロリストとして描かれた.私怨に衝き動かされた男たちの革命思想と悲劇的トロープは,跡形もなく消え去ってしまった.
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原題: 新幹線大爆破
監督: 佐藤純弥
153分/日本/1975年
© 1975 Toei Company