アール・ストーンは90歳の男.家族と別れ,孤独で金もなく,経営する農園には差し押さえの危機が迫っていた.そんな時に,ある仕事が舞い込む.ただ車を運転すればいいだけの訳もない話だ.しかしアールが引き受けてしまったのは,実はメキシコの麻薬カルテルの“運び屋”だった.たとえ金銭的な問題は解決しても,過去に犯した過ちが,アールに重くのしかかってくる…. |
アメリカの違法薬物流通におけるコロンビアとメキシコの役割は,アメリカ国内での麻薬消費に大きな影響を与えている.本作は,ニューヨーク・タイムズ紙の記事"The Sinaloa Cartel's 90-Year-Old Drug Mule"(シナロア・カルテルの90歳の麻薬密売人)に基づく物語である.80歳以上の朝鮮戦争帰還兵であり,シナロア・カルテルがスカウトした麻薬密売人レオ・シャープ(Leo "Tata" Sharp)の事例である.シャープは軽度の認知症を抱えながらも,健康的な体を持っていた.80歳を超えた彼は,メキシコの麻薬カルテルによって運び屋として雇われ,フロリダ,ノースカロライナ,アリゾナ,ミシガンを8日間で巡り,デトロイト,ボストン,シカゴなどへ麻薬を運んだ.
大規模な摘発で押収された量が10kg程度であるのに対し,シャープは月に200kg以上の運搬を担当し,その価値は末端で120万ドル近くにも及んでいたという.シャープが麻薬の密売に関わるようになったのは,元々はデイリリー(ユリ科の植物)の栽培でネット競売に敗れ経済的な困難から脱するためであったが,なんの因果か麻薬運び稼業に染っていくことになる.この題材は興味深く,クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)の古老然とした佇まいには安定した魅力がある.しかし,物語の終盤における家族との絆を取り戻す試みのサブプロット,陳腐な展開は,残念を通り越して呆れるほかない.シャープは麻薬取引に立ち会う危険はなく,常習者の破滅する姿を見るわけでもない.
シャープ自身は裁判で「自分がしたことに本当に心を痛めている.でも,もう終わってしまったことだ」と発言しており,反省の色は薄い.イーストウッドは,監督・主演作として,このようなエゴな人物を演じることに抵抗を感じており,結果としてつまらないアイデアリズムが妥協的に映画に表れている.シャープは高齢と退役軍人の身であることから減刑され,3年の連邦刑務所の刑を受けたが,彼の犯行動機は金銭面に過ぎず,道徳的な葛藤は見られなかった.このような苦悩する能力を持たない人物を映画の主人公にすることは困難であり,性善説を頼りにした映画化の試みは成功しなかった.わずか2回の麻薬密売の後で,劇中のアールは孫娘の結婚式パーティーの飲代を支払うのに十分な現金を手に入れ,新しいトラックを購入し,財産差押えの執行を解除するための手付金を支払った.これはリサーチ不足による描写である.
内陸への麻薬輸送の平均支払額は1日あたり約4,000ドルであると考えられており,運転にはシカゴからエルパソまで往復約40時間かかり,イリノイ州の法律では通常全額返済が求められているため,パーティーの飲代とトラック購入費は捻出できただろう.しかし,財産差押え執行を解除するための手付金まで対応することはできない.おそらくこの時点で彼が支払ったのは不動産債務手数料だけである.アールのために,衣装デザイナーのデボラ・ホッパー(Deborah Hopper)は,直立クローゼット(ワードローブ)の一部に使い古された外観を持たせたいと考えた.その一部は「グラン・トリノ」(2008),「トゥルー・クライム」(1999)などの以前のイーストウッド映画から再利用された.
++++++++++++++++++++++++++++++
原題: THE MULE
監督: クリント・イーストウッド
116分/アメリカ/2018年
© 2018 VILLAGE ROADSHOW FILMS(BVI)LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC