狩猟仲間のスティーブンの結婚式に出席したマイクとニック.3人は数日後に,ベトナムへ出征することになっていた.最後の宴を楽しんだ後,彼らは戦場へと旅立っていく.やがて,偶然にも戦地で再会した3人.しかし捕虜となった彼らは,敵にロシアン・ルーレットを強要され,精神崩壊ギリギリの絶望的な状況に追い込まれる.それでも決して希望を失わなかったマイクは,ニックを励まし奇跡的に脱走に成功するが,その後2人は生き別れになってしまう…. |
多様な民族の集合を寛容に受け止める国家然としながら,理想主義的な独善性で世界戦略を進めてきた超大国アメリカは,第二次大戦に引き続き,朝鮮戦争,ベトナム戦争に進み,湾岸戦争を皮切りにリビア,イランとの対立を深めた.帝国主義に対抗する民族革命と社会主義革命を掲げ,人民戦争路線でアメリカと戦ったベトナムは,民族解放の組織性と戦闘性でアメリカを撤退させた.経済力と軍事力で他国を圧倒するアメリカも,戦後秩序の磐石を保持しているわけではないと図らずも国際社会に示したのである.「タクシー・ドライバー」(1976),「ランボー」(1982)はベトナム帰還兵の孤立と悲劇,「アメリカン・グラフィティ」(1973)は従軍前夜――いわば承前の若者たち――の瑞々しさが語られ,「地獄の黙示録」(1979)ではベトナム戦争の混乱と狂気の爪痕がシンボリックに描かれた.ただし,ベトナム戦争も,アメリカ国土が侵されたわけではない.
戦禍は,忌わしい記憶となっている.260万人の兵士を派遣,700万トンの爆弾を消費し,推定でアメリカ陣営の戦死者22万5,000人,負傷者75万2,000人を出した.本作の5人の若者が従軍する1968年は,解放戦線勢力によって敢行された奇襲攻撃「テト攻勢」により,北ベトナム・解放勢力が戦争の指導権を奪還,激しい戦闘の間にアメリカ軍の撤退が始まり,和平が模索される段階であったとされている.この年代は,戦争が泥沼化した時期であり,本作はペンシルベニア田舎町の日常・赴いた戦地の極限・帰還後の異変という3つのパートで構成される.前半部で丹念に描かれる若者たちの民族的背景に,眼を向ける必要がある.スチーブンとアンジェラの結婚式がロシア正教の様式を踏んでいたことから,彼ら同胞は東欧スラブ系であることは明白.
スラブ系の民は,19世紀末から20世紀はじめにかけ渡米してきたものの農地を所有することができず,ピッツバーグ,シカゴ,ペンシルベニアなど東部の工業都市で石油精製や鉄鋼業に従事した.したがってマイケル,ニック,スチーブン,スタン,アクセルの5人は,アメリカという若く強大な国家への祖国愛より,郷土愛のアイデンティティはクレアトンの町により強く感じているであろう若者である.結婚式と鹿狩りの場面から,彼らが唐突にベトコンの捕虜となった場面に旋回,敵兵の慰みものとなりロシアンルーレットを強要される壮絶な描写は,息詰るものがある.ジェーン・フォンダ(Jane Fonda)からは「人種差別の映画」と非難され,原案から映画の製作に関わったマイケル・チミノ(Michael Cimino)は,反戦映画と評価されなかったことに落胆したという.長大な作品だが,アメリカとベトナム陣営の政情や政治的対立は,ほとんど割愛されている.
アメリカ側の損傷という観点でベトナム戦争の混沌を描くには,他方ではアメリカ内部の民族的背景を骨格に据える必要があった.その入れ子構造で,渦に飲み込まれていった若者たちの変容を主題とすることが,チミノの意図であった.現実から酸鼻をきわめた非現実の体験を経て,現実に引き戻された時,若者たちの精神は無残に引き裂かれていた.その主張を明確化するためである.サイゴンでロシアンルーレットの射手となっていたニックの記憶を呼び醒ますため,マイケルはルーレットの卓につく.現実から隔離された非現実を生きたわけではない.クレアトンと地続きの「狂気の地平」に,確かに彼らは立っていたのである.しかしリアルな記憶に向き合うことを拒み,心身を破綻させていく従軍兵の悲惨さが,表面化するには1978年は早過ぎた.一応の区切りではあるが,ベトナム戦争の終結は南ベトナムの首都サイゴンが陥落した1975年4月である.
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原題: THE DEER HUNTER
監督: マイケル・チミノ
183分/アメリカ/1978年
© 1978 EMI Films,Universal Pictures