■「家族ゲーム」森田芳光

家族ゲーム [Blu-ray]

 沼田家では次男・茂之の高校受験を控えてピリピリした毎日が続いていた.両親の計らいで,家庭教師がつくことになるが,やってきた吉本と名乗る男は三流大学に7年も在籍している男.その教育指導も一風変わっていたが,茂之の成績は徐々にアップして行く.そしてそれにつれて沼田家にもある変化が….

 オナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)《最後の晩餐》を連想させる横一列にならぶ食事シーンは,1980年代日本映画の名シーンに数えられる.片手に植物図鑑を抱えた奇妙な家庭教師――三流大学7年生――が通い詰めるのは,竹芝桟橋から水上バスでアクセスできる東京湾岸の高層アパート.晴海の埋立地ウォーターフロントに工場群が広がる無機質な空間に「家族」を続ける一家が住んでいた.

 異様な食卓は,決して向き合わない家族の象徴であり,夫婦は子どもの進路を心配する共通の話題でさえ,家庭を出て車の運転席と助手席でボソボソと主観を吐き合うのだ.徹底して目を合わせない会話の食卓に,飄々としたポーカーフェイスの家庭教師が入り込み,中立的な観点ではなく主観的な思考で家族を裁定し,表面だけを取り繕う一家にシュールな「罰」を与える.イジメや体罰家庭内暴力の表面化,子どもに対する言い知れぬ恐怖を背景に,画一的な価値観に縛られた閉塞感が「家庭崩壊」をもたらしうる危惧を示す特異な映像である.

 森田芳光は「その人間に会いたくなる映画」を意識し,常に「ニュアンス」を重んじた映画を撮り続けたという.劇中の「晩餐」では,家庭教師がワインをわざとこぼしテーブルにぶちまける.そこから食器食材の入り乱れる狂態が脚本上のカタルシスになり,闖入者家庭教師の不在による沈鬱な「後片付け」が,はじめて家族のまともな協調性を暗示する.安易な描写であるが,利己的な個人主義でかろうじてつながる「家族」というロールプレイを続けるミニマムな義務感と倦怠感はよく伝わってくる.

 横並びの異常な食事場面は,“家族がそれぞれカメラ側を見ている”という画角にしたが,一般的な食卓を使ってそれをやると「『寺内貫太郎一家』のような構図になってしまう」と考えられたため,5人――両親と子ども2人,家庭教師――がそれぞれまっすぐ正面を向くよう,特注の横長のテーブルを用いて1つの画角で撮影が行われた.伊丹十三演じる父が目玉焼きの半熟の黄身を吸って食べるシーンは,伊丹の『女たちよ!』所収のエッセイ「目玉焼きの正しい食べ方」のパロディである.

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原題: 家族ゲーム

監督: 森田芳光

106分/日本/1983年

© 1983 日活/東宝