▼『生きるための選択』パク・ヨンミ

生きるための選択 ―少女は13歳のとき、脱北することを決意して川を渡った

 北朝鮮では,死体が放置される道を学校に通い,野草や昆虫を食べて空腹を満たし,"親愛なる指導者"は心が読めて,悪いことを考えるだけで罰せられると信じて生きてきた.鴨緑江を渡って脱北した中国では,人身売買業者によって囚われの身になり,逃れてきた場所以上に野蛮で無秩序な世界を生き抜かなければならなかった.「脱北したとき,私は"自由"という意味すら知らなかった」‥‥およそ考えうる最悪の状況を生き延びた少女は,世界に向けて声を上げはじめた――.

 北朝鮮から13歳で脱北,モンゴル経由で中国,韓国に亡命したパク・ヨンミ(Yeonmi Park)の放浪,そして自由権の獲得までを記した自叙伝.彼女が脱北した2009年当時,北朝鮮から韓国への亡命者は2,927名だった.北朝鮮の国境警備および,経由国からの強制送還が強化された2012年以降は激減している.一方,2004年10月に北朝鮮人権法が成立して以来,亡命先にアメリカを目指す動きが出てきた.北朝鮮の庶民が送る社会生活は,市民性が皆無であり,生活者はそのことに自覚をもつ機会を剥奪されている.その暴露内容が凄まじい.金一族のプロパガンダによる圧制,洗脳が国民生活を隅々まで侵食しており,金正日の悪口を小鳥や小動物までもが聞きつけ,密告すると信じられている.そのことを母や祖母から言い含められた子どもは,それを露ほども疑わない.

北朝鮮の学校では,なんでも丸暗記するよう教えられるし,ほとんどの場合に正解はひとつしかない.だから,教師に好きな色を尋ねられたとき,私は必死に"正解"を出そうとした.あるものがべつのものよりいいと考えられる理由を合理的に判断する,そういう批判的思考のやりかたを教わったことがなかった.…中略…韓国にきて,最初のうちは「あなたはどう思う?」という質問が嫌いだった.私の意見なんて誰が気にするんだろうと思っていた.自分の頭で考えられるようになり,自分の意見が大事な理由を理解できるようになるまでには,長い時間がかかった

 夢で"将軍様"に出会った記憶が,長く幸福感を持続させるほどだが,現実には飢餓に苦しむ国民がバタバタと餓死し,小学校の通学路には死体が山積みとなっている.政府の偉大さを疑うようなことをすれば,一家三代にわたり投獄されるか,処刑されるのである.TVは国営チャンネル1本のみ,許可なく国際電話をかければ処刑され,ハリウッド映画を鑑賞した人も処刑される.とりわけ唖然とさせられるのは,配給統制により,畑の肥料の価値が高騰し,肥料用の犬の糞を奪い合って村民たちが殴り合いをする描写だろう.他国の共同体では,いかに貧しくともなかなか見られる光景ではない.国民の感情を支配する「感性独裁」を補強しているのは,国民の「出身成分」からなる強固な「成分社会」である.北朝鮮を生んだ共産革命の中心を担った小作農や,兵士の遺族,国家元首の一族を支える組織の人間で形成される「核心階層」.南朝鮮(韓国)の出身者や,元商人や知識人,つまり金一族の新たなる体制に完全に忠誠を誓っているか,まだ信用しきれない「動揺階層」.かつての地主や資本家の子孫,かつての韓国軍兵士,キリスト教徒や仏教徒政治犯の家族,そのほか"国家の敵"とみなされる者で形成される「敵対階層」.

 フランスの中世末から絶対王権確立期までの身分制議会(市民階級)をはるかに凌ぐ階級制は,転落することは容易でも元の階層に復帰することは絶望的という.夜間は停電することが常識の貧村で暮らしていた著者は,鴨緑江を隔てた対岸(中国)から漂ってくる,おいしそうな料理の匂いを記憶している.韓国に逃れ,アメリカで自由を謳歌する今の彼女は,資本主義社会で当然に確立されている市民権を行使し,あらゆる社会インフラにアクセスすることが可能である.好きな服や色を選び,どの政党を支持するかも制約がなく,学べばさらに教育の機会を得ることができる.ただし,自由にはその選択の結果,必ず義務と責任が伴うことを学んだくだりは,非人間的な圧殺社会から一応とはいえ自由社会に移住してきた人間の感慨としては率直である.筆舌につくせぬ過酷な体験を暴露する本書には,少なからぬ脚色や虚偽が入り混じっているのだろうが,それでも洗脳されていた自分を正直に打ち明けている部分には,それなりに真実があるだろう.

自由がこんなに残酷で大変なものだとは知らなかった.…中略…そのときはじめて,自由であるというのは,つねに頭を使って考えなければならないということなのだと気づいた.いつも飢えてさえいなければ,北朝鮮にいたほうが良かったかもしれないと思うことすらあった.そこでは自分で考えたり選択しなくていいから

 韓国では,法律を勉強して警察官か検察官になろうと努力したというが,これらは,北朝鮮では人民を虐げる代表格の官吏である.国民を守る職業であることを知ったうえで学ぶというのは,被虐の体験が骨身まで染みついていて解放されていないようにも読める.母と自分が女性として屈辱的な犠牲を払い,亡命に成功した後,生き別れになった姉とも再会を果たした幸運を,アメージング・グレースになぞらえた.北朝鮮に戻れば,確実に逮捕され処刑されることになるが,最終的には祖国に帰って暮らしたいと考えている.人間性を剥奪され生死の境をさまよい続けても,抗いがたい郷愁の念があるとすれば,このような人にしか語れない思いがあるのだろうが,にわかに共感しがたいものがある.

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Title: IN ORDER TO LIVE

Author: Yeonmi Park

ISBN: 9784777816095

© 2015 辰巳出版