▼『王になろうとした男』ジョン・ヒューストン

王になろうとした男ジョン・ヒューストン

 『マルタの鷹』『白鯨』『アフリカの女王』など,不朽の名作の製作秘話に加え,赤狩りに抵抗した不屈の反逆精神,ヘミングウェイサルトルなど芸術家たちとの友情,五度も結婚した波瀾に満ちた生涯を率直に語ったハリウッド・メモワールの最高傑作――.

 著は1980年,ジョン・ヒューストン(John Huston)生誕100年を記念して刊行された自伝.終始スケールの大きさが桁外れであった「映画人」.原題"AN OPEN BOOK"の通り,波乱の人生を包み隠さず誇張しているハリウッド・メモワールの傑作である.ミズーリ州ネヴァダに俳優一家として生まれたヒューストンは,3歳で初舞台を踏み,10代はボクシングに熱中.騎兵隊大尉,俳優,記者などを経て,1938年脚本家としてハリウッドに落ち着いた.

 「モルグ街の殺人」(1932),「偉人エーリッヒ博士」(1940)などの脚本を経て,「マルタの鷹」(1940)で監督デビューを果たす.ハンフリー・ボガート(Humphrey DeForest "Bogie" Bogart)のハードボイルド・スターの確立にも大きく寄与した.5回の結婚は,1度の死別を除いてすべて離婚.ジョージ王朝風の豪邸に美術品を集め,スキャンダル王エロール・フリン(Errol Flynn)との60分近い殴り合いでは,鼻を折られながらもフリンの肋骨2本を折った.

 醜聞に属するエピソードも多いが,絵画と文章の才能にも恵まれ,動物好きで自然環境に親しむ.「自分の映画はスタイルをもたない」と自ら評している実質は,男性的で型破りな作品を生み出した人生行路というのが実態に近い.ヒューストンは映画の撮影現場で「王」として振舞っただけではない.生涯に培った風格が,映画の威容となって作品に滲み出ている.

 ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Charles Aymard Sartre),アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway),トルーマン・カポーティ(Truman Garcia Capote)らと交流,ジェイムズ・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce)『ダブリン市民』一篇の映画化.剛毅な一方で,文芸性がこれらと複線的に連鎖している.本書第三十四章「私はスタイルを持った映画監督ではない」は,長大な本書の各章との関わりを無視してでも読むべき秀逸な映画理論である.

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Title: AN OPEN BOOK

Author: John Huston

ISBN: 4860291530

© 2006 清流出版