1950年,太平洋戦争の終結と満州国の崩壊により,共産主義国家として誕生した中華人民共和国の都市ハルピン.ソ連での拘留を解かれた中国人戦犯でごった返す駅の中に,ひとり列から離れ,自殺を試みようとする男の姿があった.彼こそは,清朝最後の皇帝溥儀――薄れゆく意識の中で,彼の脳裡には様々な過去が蘇る…. |
絢爛,荘厳な美術に息を呑む.北の新武門を通って北京の中央から東西約750メートル,南北約960メートルの城壁に囲まれた約72万平方メートルの区画には,想像を絶する空間世界があった.清朝最後の皇帝宣統帝溥儀が闊歩したであろう紫禁城が,ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)の手によりスクリーンに再現されている.3歳の溥儀を前に,死を目前にした西太后が皇位継承を宣言し,重臣は中国清朝皇帝の前で最高儀礼「三跪九叩頭の礼」をとる.無邪気に戯れる"天子"に,臣下の者数百人がひれ伏すプレゼンス,それは麻薬のように観るものを惑溺する映像美である.
1911年の辛亥革命後,孫文が中華民国の臨時大統領となり皇帝の政治力は剥奪された.溥儀の身分は紫禁城に縛られ,1924年馮玉祥のクーデターによって北京を追われるまで維持された.このあたりの政治事情は,ベルトルッチのエキゾティズムにより曖昧にされており,5年余り溥儀の帝師(家庭教師)を務めたレジナルド・ジョンストン(Reginald Fleming Johnston)の見聞した宦官と遺臣,大官らの政争もフォーカスされていない.満州事変に乗じて傀儡として満州国「皇帝」に即位させられた溥儀は,満州国の崩壊とともにハバロフスクに抑留され,極東国際軍事裁判(東京裁判)に出廷する.結果として特赦によって北京に帰され,さらには10年間戦犯として「思想改造」を受け,一市民である庭師として北京で死去した.
清朝滅亡後に満洲国の執政に就任した時,満洲国の崩壊とともに退位し,赤軍の捕虜とされた時,中華人民共和国に引き渡され,撫順戦犯管理所に収容された時――人生のあらゆる局面で,溥儀は虜囚であり続けた.戦犯管理所から釈放後,周恩来の計らいで,一民間人として北京植物園に勤務した晩年でさえ,好奇の目にさらされ続けた.流転の運命に翻弄された「権力者」が,生まれながらにしてその"器"を強制され,本人の決定権の及ばぬ中で,突然に満洲国の崩壊とともに退位を強いられるという数奇.晩節に彼の心中に去来したものは,誰も測れるものではないが,清朝最後の皇帝へと即位を約束された幼年時代の「コオロギ」を題材に,メタフィクショナルな帰結を示している.
胡蝶の夢のごとく,自分は帝になる夢を見たのか,それとも今の自分は帝である"我"が見ている夢なのか――非現実の感覚を,かつて三跪九叩頭の礼を受けた「最後の皇帝」はもっていたはず,という一縷の望みに近い観念を,誰が否定できるだろうか.坂本龍一によるテーマ曲ばかりが注目されるが,デヴィッド・バーン(David Byrne)作曲の《メイン・タイトル・テーマ》も,この作品を象徴していることは特筆される.有為転変のもたらす悲痛を,鮮烈に知らしめた紫禁城の燦然たる美術,印象的な音楽を従え,本作にはリアリズムと豊かな情緒が混在しせめぎ合っている.圧倒的な世界観にこそ,魅了される.
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原題: THE LAST EMPEROR
監督: ベルナルド・ベルトルッチ
163分/イタリア=イギリス=中国/1987年
© 1987 Columbia Pictures