航空機墜落.地面に激突し真っ二つに引き裂かれた機体から,パニック状態の乗客たちを安全な場所へと導くひとりの男がいた.彼の名はマックス.妻と息子を持つごく普通の男性であったが,この事件をきっかけに,恐怖を超越,極度の苺アレルギーも一切なくなるなど,まさに別人に変わってしまう.マスコミはまるで救世主のように書き立て…. |
誰にでもある時期まで備わっている感覚「全能感」.自分には無限の能力と可能性があると信じるが,実際には,成長の過程で挫折や失敗を繰り返すことで,自分も「普通」の人間と思い知る.本作は,全能感が極度に膨張した場合,人間という存在にどのような意味をもたらすかを周到に描いている.恐怖を克服した超人に見える人物は,社会に対してどのように振舞い,家族関係に及ぼす影響とは何か.等身大の人間を描く際に,常に用いられてきたのは,個人的欲求と社会・文化的役割の拮抗関係である.死を乗り越えたように見えたマックスの全能感と異常行動は,極限を超えた生命反応であった.
人は,いずれ死は逃れられない.それが漸進的である人もいれば,意表をつくほど唐突であることもある.乗客席から見えた眩しい光,大惨事がマックスに襲いかかる.堆く転がる死体の山.しかし当の彼は,奇跡的に,無傷に近い状況に置かれた.気まぐれに配される「死」は,当人の意思にかかわらず,受領することが強制される.死はマックスにその片鱗を見せ,また背を向け去って行った.残された彼には,死とは逆に極度の高揚感と「不死」感が沸き上がる.人知れず事故現場から立ち去り,ホテルの一室でシャワーを浴びながら,「自分は生きている」と実感するマックスは,かつて住んでいた町のカフェを訪れた.
カフェで食した苺から,アレルギー反応は起きない.明らかに事故前から体質が変化している.店のウェイトレスの名札に書かれているのは"Faith"(信仰,信頼).仏語では,生死の迷いを河と海に喩えて「彼岸」と呼んでいる.マックスは,彼岸を垣間見たのである.死に直面しながらそれを撃退したかのように感じる錯覚は,神への挑戦権を得た確信に等しい.「至高」体験を得た超人に対して,凡人に共感は期待できないことから,マックスの超恐怖(フィアレス)は,一般社会の人間関係に暗い影を投げかけてくる.以下ネタバレ.
事故のもう一人の生存者の贖罪と帰結を証明することで,さらに苺アレルギーの再発と妻の蘇生術によって,マックスは肉体の死を追体験した.それを超えて,はじめて彼は恐怖を「とりもどす」.再び彼は,迷いと悩みに満ちた現実世界で,人間的な感覚を外界に向けながら,生きていくことだろう.その営みの中で,家族や他の人間関係の微妙な「体温」を感じながら,共感を温めることができるはずだ.本作は,生死に迷う「彼岸」と,葛藤の渦巻く「此岸」のコントラストを描いているのである.全体的に小粒ではあるが,イザベラ・ロッセリーニ(Isabella Rossellini)の凛とした美しさが光る.
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原題: FEARLESS
監督: ピーター・ウィアー
122分/アメリカ/1993年
© 1993 Spring Creek Productions,Warner Bros. Pictures