▼『死刑執行人サンソン』安達正勝

死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)

 敬虔なカトリック教徒であり,国王を崇敬し,王妃を敬愛していたシャルル‐アンリ・サンソン.彼は,代々にわたってパリの死刑執行人を務めたサンソン家四代目の当主であった.そして,サンソンが歴史に名を残すことになったのは,他ならぬその国王と王妃を処刑したことによってだった.本書は,差別と闘いながらも,処刑において人道的配慮を心がけ,死刑の是非を自問しつつ,フランス革命という世界史的激動の時代を生きた男の数奇な生涯を描くものであり,当時の処刑の実際からギロチンの発明まで,驚くべきエピソードの連続は,まさにフランス革命の裏面史といえる――.

 界史の一断面を切り取る方法はいくつもある中で,ある時代に存在した人物や一族を取り上げる手法は,視点の当て方で魅力を高める.本書は,フランス革命期に実在した死刑執行人シャルル‐アンリ・サンソン(Charles Henri Sanson)とその系譜を扱う.死刑執行人は人間ではなく,「魔族」と忌み嫌われた.しかし,執行人は王の忠実な僕であり,王権の遂行を支える「正義」の執行者であり,信仰心の篤い市民であった.呪われた一族が受けたタブーと差別のスティグマ(烙印)とは何であっただろうか.

国王の子は国王になる.それと同じように,処刑人の子は処刑人になる.どちらの場合も厳格な世襲制が踏襲される.違いは,国王は社会の最頂点で光り輝くのに対し,処刑人は社会の最底辺の闇の中に追いやられるという点だけである

 社会関係としてのスティグマは,スティグマを負わされる人に対する他者の行動によって決まる.「身分の低下」「身分の否定」「人間性の否定」の順に,スティグマは深刻化すると考えられている.ローマ法の原典ともなったユスチニアヌス法典(530年)は,聾唖者に社会的「身分」を与えず,彼らには結婚の権利はないものとし,生涯,監視者をつけることとしていた.社会的アイデンティティを破壊,地位,権利および社会的存在性を抹殺することにより,人間性の否定と非人道的処遇を正当化したのである.サンソン一族は,みな「社会正義」に従事した.道行く人が顔を背けるほど,忌み嫌われた死刑執行人は,国王に弓引く者を合法的に殺害する.一方で,医術にも長け,診療と治療でかなりの収入を得ていた.

 穢れた一族には,医学校に通うことは許されない.したがって一族の医術とは,処刑術の理論にもとづいた独自の施術であったが,きわめて合理的であったという.一族の中でも,シャルル‐アンリは特別な執行官であった.貴族に劣らぬ教養と社交性を備え,畏敬していたルイ16世(Louis XVI de France)を処刑する宿命を負ったからである.本書は,オノレ・ド・バルザック(Honoré de Balzac)『フランス革命史に貢献するための回想録』,アンリ=クレマン・サンソン(Henry-Clément Sanson)『サンソン家回想録 七世代の死刑執行人』などを史料としながら,執行官の人格的側面に踏み入る心理描写,革命前後のサンソンと「革命的」処刑具ギロチン発明の影響などが整理される.

死刑制度は間違っている!――処刑を実行する人間を必要とし,その人間に法と正義の名において殺人という罪を犯させるものだから.そして,処刑人一族という呪われた一族を産み出すものだから

 著者の秀でた文章力によるところも大きく,非常に興味深い叙述である.『サンソン家回想録』の中で,アンリ=クレマンは死刑の廃止を強く訴えていた.ルイ16世を処刑した晩,アンリ=クレマンは,改革派で非宣誓派の僧侶と接触しミサを行っている.これは犯罪行為とされる危険な行動であったが,過去に2度謁見し敬うべき国王をその手で殺害しなければならなかった男の,やまれぬ贖罪であっただろう.フランスで処刑制度が廃止されたのは,1981年である.ルイ16世の処刑から188年後,またアンリ=クレマンの死から175年後のことである.

++++++++++++++++++++++++++++++

原題: 死刑執行人サンソン―国王ルイ十六世の首を刎ねた男

著者: 安達正勝

ISBN: 4087202216

© 2003 集英社