■「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」ジョン・キャメロン・ミッチェル

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ [DVD]

 全米各地を旅して巡る売れないロック・シンガー,ヘドウィグ.共産主義体制下の東ドイツで男の子ハンセルとして生まれたものの,憧れの国アメリカに渡る際,米兵の男性と結婚するため性転換手術を受け,その不手際で「怒りの1インチ」が股間に残ってしまった彼女.渡米した途端その男性にも去られてしまったヘドウィグは,ロック・スターになる夢を思い起こし,韓国軍兵士の妻たちとバンドを結成する….

 ラトン(Plato)『饗宴』におけるアリストパネス(Aristophanes)の譬話「愛の起源」.両性具有のアンドロギュノスが神の逆鱗に触れ「分割」,相互の求めがエロス(愛)となり,エロスは人間本来の姿に戻ろうとする抜きがたい衝動となったという.不完全なものが完全なものへの憧憬と追求を図り,失われた本来の完全性を復活させるため,互いに短所を補う相手を求め合う.その寓意は不完全な現状を全きものにするためには,理想追求の努力が必要である,と考える点にある.

 オフ・ブロードウェイの大ヒットミュージカルを基に,本作は映画化された.マドンナ(Madonna)は楽曲の権利使用を申し入れ,デヴィッド・ボウイDavid Bowie)はグラミー賞よりもミュージカル観劇を優先したとされる.“怒りの1インチ”のロック・シンガー,ヘドウィグは,愛の賛歌の嘆きを叫ぶ."missing half"となった人間を否定すれば,自分のような異端者は破滅するしかない.その抵抗のアイデンティティを,監督・脚本・主演のジョン・キャメロン・ミッチェル(John Cameron Mitchell)が裂帛の気合で魅せる.

 製作会社キラー・フィルムズは,キャメロン・ミッチェルの気骨を尊重し,剥き出しの感情を崇高な魂の発露と見せることに成功している.このことは,『饗宴』第2部でなされるディオティマのエロスの下部構造と上位構造,それらを踏まえた人間の心的帰一による完成を彷彿とさせるだろう.半身を追い求めるその彷徨は,精神のオーガズムを迎えることへの希求.透徹した審美眼を磨き,高尚な魂のさらなる向上に全霊をあげるということである.

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原題: HEDWIG AND THE ANGRY INCH

監督: ジョン・キャメロン・ミッチェル

92分/アメリカ/2001年

© 2001 New Line Cinema