あこがれを集める歴史の都・京都!そんな古都を「きらい」と明言するのは,京都育ちで,ずっと京都に住んでいる著者だ.千年積もった洛中人の毒や,坊さんと舞子さんとのコラボレーションなど,「こんなん書いてええのんか?」という衝撃の新京都論――. |
千年の歴史に裏打ちされた美しい都市の光と影を抉り出す.古都としての京都は,優美な景観や豊かな文化遺産で日本国内外から憧れを集める一方,内部には驚くべき排他性や階層意識が深く根付いている.本書の視点を通じて見えてくるのは,古都が抱える独自の毒と,そこに宿る愛憎の入り混じった感情である.筆者は嵯峨野で生まれ育ち,現在は宇治市に住むという立場から,洛中中心主義に対する屈辱的な体験を繰り返し語る.「洛中にあらずんば京都にあらず」という価値観は,古代の京と郊外という概念から派生したもので,都の中心部に住む人々が,周辺地域の住民を見下す態度を表している.筆者が町屋研究をしていた大学時代,嵯峨出身だと名乗った際,町屋の主から「昔は嵯峨のお百姓さんが肥を運んでくれた」と言われたエピソードは,容赦ない差別意識にほかならない.
嵯峨を田舎扱いする西陣出身者,それをさらに見下す新町御池の住人――「エラそうさのピラミッド」が京都の日常に浸透していることを生々しく伝える.興味深いのは,筆者自身がその文化的な影響を受けてしまったと自認する点である.洛中人との交流を通じて,自らも亀岡などのさらに田舎を見下す感情を抱くようになったと告白する.いやらしい京都人の一翼を担うようになったことを嘆きながらも,洛中のいやらしさが自分の文章に「肥」として豊かさをもたらしていると自虐的に述べるのである.この二重構造は,京都人ならではの自己愛と自己嫌悪の奇妙なバランスをよく表している.東京メディアの責任にも鋭く切り込む.全国紙や雑誌が困ったら京都特集として美しいイメージを繰り返し描くことで,洛中人をますます天狗にし,洛外の人々を見下す風潮を助長しているという.
この現象は,他の地方都市にも共通するメディアの問題点を反映しており,京都の問題をさらに広い視点で捉えることを可能にする.「京都ぎらい」は,歴史への深い洞察でもある.南北朝時代の対立は,洛中と洛外の分断に象徴的な影響を与え,嵯峨野に建てられた天龍寺は南北朝時代の和解の象徴として建立されたが,その背後には権力闘争が渦巻いていた.靖国神社が官軍側のみを祀るという問題提起は,戦後の国家観や記憶の選択性に対する鋭い批判である.銀座の名前の由来となった銀座役所は江戸時代に京都から移された職人たちが設置したものであり,実はそのルーツは京都の鋳造技術にあった.このような歴史の断片は,京都が全国の文化形成に深い影響を与えたことを物語っている.
京都の寺社仏閣,祇園,五山の送り火など,誰もが知る伝統的文化の背後には,筆者が指摘する冷たさや差別意識が潜んでいる.祇園のおもてなし文化は確かに世界的に評価されるが,それは権力者や富裕層に特化した接待技術の賜物で,一般人に対しては冷淡さが露骨である.寺社の拝観料が高騰し,写真撮影に料金を請求するケースが増えている現状も,観光地化が進む中での功利主義的な側面といえる.筆者の京都論は,地方批判を超えて,日本社会全体の歴史観や地域間の意識差を問い直す.千年の都の裏に潜む毒や,そこから生じる愛憎をどう捉えるか.千年の毒が与える教訓とは,歴史の中で形成された価値観を再考し,地域間の対立を乗り越える困難性を見出すことにある.
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原題: 京都ぎらい
著者: 井上章一
ISBN: 4022736313
© 2015 朝日新聞出版