▼『骨たち』チェンジェライ・ホーヴェ

骨たち

 野間アフリカ賞,大江健三郎氏激賞作.ジンバブエ独立戦争のさなか,戦乱に斃れた兵士とその恋人,兵士の母と父らの独白の連鎖を通じて鮮明に力強く物語られる.アフリカ文学の新たな息吹きの完訳――.

 学不毛の地アフリカ,と信じられた風潮は,容認しがたい.アパルトヘイトによる政治的抑圧のイメージがいまだアフリカ文学には根を下ろし,アフリカ文学者がメディアに登場することは,あまりない.しかし,アフリカ文学のきらめきに触れようと思えば,実はそれほど難しいことでもない.本書の舞台ジンバブエは,2度のチムレンガ(白人に対する"武装蜂起"・ショナ語)を経て,1980年にイギリス主体のローデシア共和国に引導を渡すことに成功.ジンバブエ共和国の成立をして,90年にわたる植民地支配からの決別がなされたが,深い傷は今も癒えることはない.ただ,政治的弾圧とネグリチュード運動だけが,アフリカ文学の真髄とはいえない.

 ネグリチュード運動は,表現の場を見出せないままアフリカ大陸全体の内奥部に秘匿されていた憧憬の気持ちが,世界史の発展する過程で祖国アフリカへの憧憬の気持ちと結合した結果生まれた,秘教的な文学運動であった.『骨たち』の物語は,マリタ,ジャニファといった2人の女性の生き方が,情緒的に,だが力強く描かれる.チェンジェライ・ホーヴェ(Chenjerai Hove)が民族の遺産としてのチムレンガの伝統に照らし出すことで,ジンバブエの現在がよりはっきり見えてくるはず,と述べているのは,ジンバブエの歴史がすべて,人と文学と政治と環境に多大な影響を及ぼしているとの主張を本書がなし,2人の女性の生き方にこそ,ジンバブエの血流を汲み取ってほしい想いが込められているからだ.

 アフリカ人作家の物語の伝承は,口語伝承にとどまらない.作品の形式は,小説,ノンフィクション,随筆といった多様な姿でわれわれの前に現れる.だが,それは,英語,フランス語,ポルトガル語などの言語で発表されて,世界の多くの人の目に触れる機会を得る.これらの「グローバル言語」でなければ,日の目をみることは難しい.ホーヴェは,本書を英語で書いた.そのために,英語圏以外の国への翻訳も容易になった.これが,ガラ語,トゥイ語,ショナ語などの民族諸言語であればどうだろうか.民族的色彩を大切にすることと,それが世に広く出回ることはイコールではない.民族の文化的経験の貯蔵庫ともいえる言語は,他文化との接着剤の役目をもっている.文学作品が多くの人に知れ渡るにはより多くの人に共通する単位で提供されることが必要なのだ.アフリカ独自の文化を創造,深化するためには,自国の言語が重要であることはいうまでもない.それが,植民地化され,他の言語を強要された場合,その国の伝統文化はどう変質していくかということである.言い換えれば,言語の抑圧と伝統文化の固守は,トレード・オフの関係にあるのかどうかということだ.

 ジンバブエではないが,この問題の理解に大きな示唆を与えてくれるのは,ウォーレ・ショインカ(Wole Soyinka)の見解である.ショインカは,ナイジェリアの詩人,劇作家.1986年にアフリカ人としては初のノーベル文学賞を受賞.1954年から1957年まではイギリスのリーズ大学で演劇を学び,ブレヒトベケット,イエーツ,ギリシャ悲劇・喜劇に通じている人物.ナイジェリアは,19世紀にベニン王国がイギリスに倒され,植民地化された.ジンバブエと同様に,英国支配に隷属した経験を持つ国である.1987年9月24日,ウォーレ・ショインカが国際シンポジウム出席のため来日した.この時,毎日新聞社が大阪ロイヤル・ホテルでインタビューを実施している.その中で,ショインカは「ナイジェリアの人々に与えられた英語と,アフリカ文化の創造に英語を使わなければならないということで,矛盾は生じないのか」という質問に答えた.

 以前,ユネスコ主催の会議で,アフリカのそれぞれの国々にスワヒリ語を統一言語にしようということが議論された.しかし,ショインカはその強制的な実施には反対した.独立を目指して闘っている国民に対して,新しい言語を導入するということは,新しい問題を生むと考えた.たとえそれが植民地の支配者である言語を覆す目的であっても,そういった言語の使用方法には納得できない.文化的,政治的な範囲というのは,決して国境と同じではない.さまざまなアフリカ民族の言語が飛び交う中で,アフリカが共通言語はもてるのかという疑問がある――変則的な回答になっているが,多分に示唆的な見解だった.言語を使うことに対し,慎重な姿勢を崩さずに,他言語の導入による文化の破壊を懸念している.

 文化をめぐる言語の状況が混沌としているアフリカにおいて,言語の統一化は新たな火種となる恐れがある.すなわち,異文化の破壊を異なる言語でなさんとするのは,誤った道である.そして,いったん導かれたこの誤りは,収拾不可能になる恐れがあるということである.アフリカ文学は,表現上の言語という制約を与えられ,特殊な表現様式をも生み出している.それをナディン・ゴーディマ(Nadine Gordimer)は,「謎めいた語法」と呼んだ.本書でも,この謎めいた表現(これはしばしば暗喩という形式をとる)が登場する.ハゲワシが大きく広げる翼が太陽を遮り,空は沈黙を守る.悪い病が先祖の心を食いつくし,父母の心を蝕む.官憲の目を欺くために,文意をどのようにでもとれる表現は,作品が生き残るために編み出された妙技である.そうでなければ,常に焼き捨てられる危険をともにする.

 アフリカ文学は言語の選択に関して,有効なカードを持ちえないまま今日に至ってきたことが,表現様式の制約とあいまって,特殊な文学と位置づけられた理由の1つである.たとえば,英語で書かれた本書のように,世界から見たアフリカを文学によって煥発し,論じられることをアフリカ作家はおそらく望んではいない.アフリカから見た世界を表現し,内部から見た実態の声をあげることで,民族の誇りと自己のプライドを意義付けようとしている.

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Title: BONES

Author: Chenjerai Hove

ISBN: 4062047721

© 1990 講談社