▼『表徴の帝国』ロラン・バルト

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

 「これはエクリチュールについての本である.日本を使って,わたしが関心を抱くエクリチュールの問題について書いた.日本はわたしに詩的素材を与えてくれたので,それを用いて,表徴についてのわたしの思想を展開したのである」.天ぷら,庭,歌舞伎の女形からパチンコ,学生運動にいたるまで…遠いガラバーニュの国"日本"のさまざまに感嘆しつつも,それらの常識を"零度"に解体,象徴,関係,認識のためのテキストとして読み解き,表現体(エクリチュール)と表徴(シーニュ)についての独自の哲学をあざやかに展開させる――.

 ラン・バルト(Roland Barthes)は,1953年に『零度のエクリチュール』を発表した後,1966年から1968年にフランス文化使節の一員として,何度か来日を果たしている.大絵師・狩野永徳はピーテル・パウルルーベンス(Peter Paul Rubens)を断然凌ぐ,としたのは,ブルーノ・タウト(Bruno Taut)だった.タウトは,鏡面としての日本的美とヨーロッパ的美を照応することで,第一次世界大戦後の表現主義建築運動を補強しようとした.

 バルトの場合には,西洋世界が「意味の帝国」であるのに対し,日本は「表徴(記号)の帝国」と規定している.記号論の立場から日本の印象をまとめた本書では,天ぷら,庭,歌舞伎の女形,すき焼きといった素材で,言語表現の実態<エクリチュール>を展開する.これらの素材は,日本にしかない代わりに,日本以外の場所では異なった素材を容易に見つけだすことができる.

料理人が生きたうなぎをつかまえて、頭に長い錐を刺し、胴をさき、肉をはぎとる。このすみやかで(血なまぐさいというよりも)なまなましい小さな残虐の情景は、やがて《レース細工》となって終る。ザルツブルグの小枝さながらに、天ぷらとなって結晶したうなぎ(または、野菜やエビの断片)は、空虚の小さな塊、すきまの集合体、となってしまう。料理はここで一つの逆説的な夢、純粋にすきまからだけでできている事物という逆説的な夢を、具現するものとなる。この料理の空虚は(しばしば天ぷらは、空気でできた糸毬といわんばかりの球となっている)人間がそれを食べて栄養とするためにつくられているものであるだけに、いっそう挑発的な夢なのだが……

 詩的な題材は,西欧の文化コードが全く通用しない場所であれば,無数に存在している.したがって,日本は「表徴の帝国」としての1つの場に過ぎないが,そのことは,バルトによるモチーフの思索的コレクトという独自性を邪魔してはいない.

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Title: L'EMPIRE DES SIGNES

Author: Roland Barthes

ISBN: 4480083073

© 1996 筑摩書房