▼『いま、よみがえる米騒動』田村昌夫 ほか

 太平洋側で労働争議が頻発した時期に,日本海側では米騒動が多発.大正デモクラシーの先駆をなした騒動の実相を,70周年のいま,証言・特高資料・歴史的分析で明確化――.

 代日本における未曾有の大規模な大衆闘争「米騒動」の研究文献は,井上清渡辺徹共編『米騒動の研究』全5巻(有斐閣,1959-1960)である.1918年夏の米価は戦前の4倍に暴騰,片山潜が〈あきらかに日本における民衆運動の全般的覚醒の最初の力強い端緒であって,現代革命運動の火蓋をきったもの〉と評価した米騒動について,富山県ほか一府四県,騒動の構造・取締りと鎮圧・1918年以前の米騒動史・統計資料を掲げる大部の重要文献である.

 本書は,富山湾に面するかつての滑川署にあった記録「所謂『越中米騒動』ニ関スル記録富山県特高課」(1930年富山県庁火災で全焼した資料)の概要版が新興出版社に提供され,それを紹介した点に最大の意義がある.1911年に警視庁にのみ設置されていた特高課は,1928年まで富山県には置かれていなかった.それでも,当資料の概要版『米問題ニ関スル参考書』なるものが地元に保存されており,それに気づいた地方警視がガリ版刷りを保管していたのである.特高資料は富山日報,北陸タイムス,高岡新報などの報道を批判し,巡査2名の手記が付されている.

 地方の厄介ごとに業を煮やした官憲の保身が目につく記述で,「越中強盗,加賀乞食」と称された富山県民を軽視すること甚だしい.滑川の初期騒動の報を受けた農商務大臣も「地方の小事件取るに足らず」の姿勢だったが,警視庁監察官の正力松太郎富山県出身)は事態を重く見た.この騒動は神戸,大阪,東京にまで波及する可能性があり,その対策を手配すべきと警視庁幹部に伝えている.しかし,新米の監察官の意見に誰も耳を貸すことなく,翌日には岡山,広島,神戸,さらに名古屋,大阪,京都,静岡,東京と全国的に暴動が拡大していったのである.

 寺内内閣は騒動鎮圧のために軍隊を出動させ,全国の死者20数人,重傷者1,000人,起訴7,700人,死刑2人.政府は報道機関に対し米騒動に関する記事の掲載禁止命令を出した.平井平八郎ら中産階級出身の社会主義者らは検束者釈放の交渉に動いたのは1回だけであったのは意外.幸徳事件後の大弾圧で社会主義思想が一時,改良主義に傾いていた可能性も指摘されている.大正デモクラシー運動の起点をなした大衆闘争の記録,とりわけ官憲と報道機関の対立が明確化される中での社会主義者の態度は,見逃されてはならない点だった.

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原題: いま、よみがえる米騒動特高資料発見

著者: 田村昌夫 ほか

全国書誌番号: 88054949

© 1988 新興出版社