▼『刑事一代』佐々木嘉信,産経新聞社 編

刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史 (新潮文庫)

 捜査は,ホシとデカの命がけのぶつかり合いだ…警視庁捜査一課勤務30年の名刑事・平塚八兵衛が,昭和史に残る大事件の捜査現場を語る.地を這うような徹底捜査で誘拐犯・小原保を自供へ追い込んだ吉展ちゃん事件から,帝銀事件下山事件,そして未解決に終った三億円事件まで,貴重な証言が満載.事件捜査の最前線に立ちつづけた男の言葉からは,熱すぎるほどの刑事魂が迸る――.

 査から巡査部長・警部補・警部・警視とすべて無試験で昇任した平塚八兵衛は,刑事部捜査一課で鬼とも神ともいわれる豪腕を揮った.退職までに警視総監賞を94回受賞している.吉展ちゃん事件・帝銀事件・小平事件・スチュワーデス事件・下山事件・カクタホテル殺人事件・三億円事件――在任中に平塚が手がけた事件は,殺人や強奪など戦後最大級のものが多い.本書は,その独特の茨城弁で歯に衣着せぬ口調そのままに,重大事件の回顧録となっている.

 一読して解るのは,職人気質と武闘派を窺わせる言動に,徹底捜査に不可欠な理論が確固としてあることだ.それは必ずしも直線的に犯人の自供を引き出すとは限らないが,地を這うような捜査の執念が「落とし」という結果に表れる.その過程で副次的に生まれるのは,上司との対決姿勢,また必要と在らば容疑者との猥談を交え,家を抵当に入れてでも捜査に血道を上げる.

 寝ても覚めても担当事件のことしか頭にない平塚は,事件の覚書を肌身離さず持ち歩き,新婚当初の夜半,夢うつつに隣で寝ている妻の首を犯人と間違え締め上げたこともあったというから尋常ではない.平塚の凶悪事件捜査・指揮は,まさに一世一期の奉職であったというほかはない.このような刑事像は,絶滅種あるいは絶滅危惧種ではないかと忖度するが,疑義を残した帝銀事件,未解決に終わったスチュワーデス殺人事件での観点は,平塚と松本清張では相違点が多々あって興味深い.

“落としの秘訣”?小原のときもそうだが,相手にいいたいことを全部しゃべらせ,そのうえで,アシで調べたネタを一気にぶつけるんだよ.若い刑事にもよくいうんだ.「落とすネタは薄くても,豊富に持ちな.そしてその材料を完全に消化しろ」ってね.ホシはゲロ(自供)ったら死刑ってこと知っているんだ.つまり,ヤツらは本当に命を賭けているんだ.そのウソをつき崩すには,ネタしかない.それから,そう,気迫だね.ホシとデカの命がけのぶつかり合いなんだよ,なあ

 清張は『小説帝銀事件』『黒い福音』で前者の事件ではGHQ,後者では国際的麻薬密売ルートの関与まで推理を働かせた.科学的思考を捜査理論に高めることのできた平塚は,贔屓目に見ても協調・協働型の刑事ではなかったようだ.その姿勢が時に災いしたこともあったかもしれない.本書で平塚が最も詳細に捜査の顛末を語ったのは「三億円事件」.その時効が目前に迫った時期に敢行されたインタビューとして迫真に満ちている.彼の足跡は,戦後の刑事事件史にそのまま重なっている.

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原題: 刑事一代―平塚八兵衛の昭和事件史

著者: 佐々木嘉信 ; 産経新聞社編

ISBN: 9784101151717

© 2004 産経新聞