▼『天才の栄光と挫折』藤原正彦

数学者列伝 天才の栄光と挫折 (文春文庫)

 自らも数学者である著者が,天才数学者(ニュートン関孝和,ガロワ,ハミルトン,コワレフスカヤラマヌジャンチューリング,ワイル,ワイルズ)九人の足跡を現地まで辿って見つけたものは何だったのか.この世にいて天国と地獄を行き来した彼らの悲喜交々の人生模様を描くノンフィクション大作――.

 に関する原理「アルキメデスの原理」を発見したアルキメデス(Archimedes).最小二乗法発見,代数学の基本定理を証明したカール・フリードリヒ・ガウス(Johann Carl Friedrich Gauss)は,50桁の暗算を可能とし,むしろ楽しんだ.さらには,異常な才能を示しながら,運命に翻弄されて夭折したニールス・アーベル(Niels Henrik Abel)とエヴァリスト・ガロア(Évariste Galois).近世数学の開花と高峰には,確かな基礎があった.数学の正しさは,厳密な「証明」によって担保される.実験も実習もなく,ひたすら仮説の検証の工程を試行錯誤する孤独な学問.変人らの紡いできた業績は,驚嘆すべき学問の連続性の歴史とも言い換えられよう.

 神の声を求めた人(アイザック・ニュートン).主君の為,己の為(関孝和).パリの混沌に燃ゆ(エヴァリスト・ガロワ).アイルランドの情熱(ウィリアム・ハミルトン).永遠の真理,一瞬の人生(ソーニャ・コワレフスカヤ).南インドの”魔術師”(シュリニヴァーサ・ラマヌジャン).国家を救った数学者(アラン・チューリング).真善美に肉薄した異才(ヘルマン・ワイル).超難問,三世紀半の激闘(アンドリュー・ワイルズ)――不条理の世俗と乖離した位置にある”真実”の絶対の閃きを,彼らは天稟をもって描き出した.

 孤独な生い立ちからくる悲しみを,歪曲した顕示欲で表現するほかなかったと推定されるニュートン(Isaac Newton),10歳でユークリッド(Euclides)『原論』を,12歳でニュートンの『プリンキピア』を読んだハミルトン(William Rowan Hamilton),「ナーマギリ女神のお告げ」により公式を導き出すと確信していたラマヌジャン(Srinivasa Aiyangar Ramanujan)らは,傑出した才能の代償として人間的な安らかさとは徹底して無縁だった.暗号解読の労を国家に捧げながら,禁じられた同性愛を告白して自殺したチューリングAlan Mathison Turing)の絶望も,運命の翻弄と片付けるわけにはいかない痛ましさがある.

 著者は,ハミルトンが四元数の基本式を閃いたというブルーム橋を訪問し,彼の歓喜を感じ取りながら,その生涯とアイルランドという国家が辿った苦難の道に思いを馳せる.あるいはニュートンの生家に今もあるリンゴの老木からもぎ取った果実を齧っている.その味は不味かったというが,幼いニュートンが母と引き離された土地に彼の孤独を窺い知る.崇高な真理の追究に身を捧げた数学者への追憶が,悲喜の点と線を結び特有のビジョンを描き出す.それは闇夜に浮かび上がる星座のように,美しくも寂寞とした光芒である.

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原題: 天才の栄光と挫折―数学者列伝

著者: 藤原正彦

ISBN: 9784167749026

© 2008 文藝春秋