▼『英語の帝国』平田雅博

英語の帝国 ある島国の言語の1500年史 (講談社選書メチエ)

 「グローバル社会への対応」と称し,多くの親が幼児を英語塾に通わせる.こうした「英語熱」は,どんな歴史を経てもたらされたのか.五世紀頃にイングランドに出現した言語が,中世にはブリテン諸島に広がり,近代にはインドやアフリカをはじめ,世界を覆うまでの「英語の歴史」.立身のために子どもへの英語教育を熱望したウェールズの親たち,アイルランド人のナショナリズムと英語への抵抗,アフリカでのキリスト教と一体化した「英語帝国主義」.そして,日本の英語教育の始まりと,森有礼の「日本語廃止論」の真相を解明する――.

 ルマンの古典文献学,ゲルマン語学,そしてドイツ文献学の基礎を築いたヤーコプ・グリム(Jacob Ludwig Carl/Karl Grimm)は,英語が将来的に世界言語となり地球上のあらゆる場所の支配とともに勢力をふるう言語となることを予見していた(1851年).中世イングランドからウェールズスコットランドアイルランドブリテン諸島を侵略支配し,グレート・ブリテンとなってアメリカ,インド,アフリカ諸国からアジア諸国まで拡大し続けるグローバルな言語体系としての帝国主義言語学イデオロギーが「帝国の推進力」と融合化される時期は,19世紀の大英帝国の繁栄を象徴した「パックス・ブリタニカ」以降であることは間違いない.

今日の日本は,明治初期,第二次世界大戦後,高度経済成長期と,明治以来の何度目かのグローバル化,それもこれまででもっとも大きなグローバル化を受け入れざるを得ない状況に直面している.これを受けた形でいまこの国は「異常なほどの英語熱」に浮かされている

 旧ブリテン領アフリカではガンビア,シオラレオネ,ガーナ,ナイジェリアでは英語は「公用語」,ウガンダタンザニアでは「共同公用語」,ケニアでは「公用第二原語」とされてきたことからも明らかであろう.またインドでは公的な使用言語がペルシャ語から英語に置き換わり,主要な都市に国立大学が作られ,英語で授業が実施されている.英語教育を受けた者を優先して官僚ポストが与えられた.英領インドおよびインド藩王国の統治を司ったインド省は,1858年に設置され,植民地省・自治領省を加えた三省で植民地を御した.

 行政・司法・政務・スペシャリストの四分野に分かれるインド省高等文官は,オックス-ブリッジ出身者が計79%と最も多かった(オックスフォード49%,ケンブリッジ30%).エジンバラ大学,ダブリン大学,王立アイルランド大学,ロンドン大学は,すべて5%以下であった.英語が「文化的簒奪者」であり社会階層の分断を招くため「国民語」にはなり得ないと考えたマハトマ・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)の危機感に反して,5世紀に支配者ローマ人に代わってイングランドを侵略したゲルマン人固有の言語が,「公式帝国」の他に「非公式帝国」まで侵蝕する勢いをもはや止めることはできない.

○○語を話す能力,母語とすることは日常の慣習的な使用と関連しなくなる.なぜなら,両親は○○語を子供の将来の障害になると見なすようになり,周到に家庭から追放したからである.両親は最低限の野心を持った子供には格好の道具となる英語の習得を望み,可能な限り,学校では,もっぱら英語教育がなされることを望んだ

 グレート・ブリテンの中枢国から入植されたアメリカ,カナダ,オーストラリア,ニュージーランドなど("中核の円").ブリテン帝国に植民地化されたアフリカ諸国,旧インド,インドシナ半島,フィリピン等のアジア諸国("外郭の円").家庭や学校教育で嬉々として英語を取り入れ経済的利益を享けようとする中国,日本,韓国,台湾,インドネシア,ネパール,中東諸国など("膨張する円").これら「円を使った世界諸英語のモデル化」は,インドの言語学者ブラジ・カチュル(Braj Bihari Kachru)による地政学的知見より示唆を受けており,本書の本質的な警鐘の論拠である.

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原題: 英語の帝国―ある島国の言語の1500年史

著者: 平田雅博

ISBN: 978-4-06-258636-8

© 2016 講談社