太平洋戦争中,フィリピンの山中でアメリカ兵を目前にした私が「射たなかった」のはなぜだったのか.自らの体験を精緻で徹底的な自己検証で追う『捉まるまで』.死んだ戦友の靴をはかざるをえない事実を見すえる表題作『靴の話』など6編を収録.戦争の中での個人とは何か.戦場における人間の可能性を問う戦争小説集――. |
35歳という年齢は,兵士としては老兵といえる.暗号主の訓練を受けさせられ,フィリピンのミンドロ島に派された大岡昇平は,捕虜収容所で終戦を迎えた.1945年12月に復員,1946年に『俘虜記』を完成させ『野火』に取り掛かり,1948年から本格的な作家生活に入る.”戦記”に属する大岡の著作は,徹底的な自己検証と批判を冷徹な主観で述べる.本書においては,35年の生涯がもうじき終わるのだという死の観念がたびたび「彼」を襲い,それは「一種の虚脱的な圧迫感」であったと表現する.
ふと何かの動作の間に,ああしかし自分はもうすぐ死ぬんだという考えが浮かぶ.外界はその時すべて特別な色合いを帯びてくる.例えば光るものは一層光り,影は一層暗く,物音が遠くなったように感じる
聴覚以外の感覚が研ぎ澄まされ,それは不快というより快いものに感じられるのは,奇妙なことだ(「出征」「捉まるまで」).「靴の話」は,支給された軍靴はゴム底で鮫皮,その脆さを出兵の男に強いた日本という国に国家の弱点という「事実」の感慨をもち,戦友の靴を譲り受けることになった「私」.対して俘虜収容所で米軍から支給された靴は十一文(約2.4cm×11=26.4cm)のゴム製であったことへの感傷的郷愁.
「靴の話」「食慾について」は最初「靴と食慾」という題で発表されたが,後に分割して改編された.いずれの短篇も,虚構と事実の境界線が定かではない.しかしリアリズムに満ちた文体が,技巧を超えた迫真性を生んでいる.
政治は尽く嘘であるが,嘘から出たまことが重なって生活と歴史を作るのである
著者は,高木惣吉『連合艦隊始末記』,草鹿龍之介「運命の海戦」(『文藝春秋』昭和24年10月号)といった戦後の記録文学を,信憑性の面から批判した.軍靴を履いて突進・退却・捕獲を余儀なくされた兵士の実態が霞むことには容赦がなく,その厳しさが文体の背後にある.言い換えれば,それは嘘が生み出す「事実」に対する抵抗である.
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原題: 靴の話―大岡昇平戦争小説集
著者: 大岡昇平
ISBN: 4087520498
© 1996 集英社