▼『秩禄処分』落合弘樹

秩禄処分 明治維新と武家の解体 (講談社学術文庫)

 明治九年,華族・士族に与えられていた家禄を廃止した「秩禄処分」.この措置によって,武士という身分は最終的に解体された.支配身分の特権はいかにして解消され,没落した士族たちは,この苦境にどう立ち向かっていったのか.改革を急ぐ大久保利通,ひとり異議を唱える木戸孝允西郷隆盛率いる鹿児島士族の動向.維新史の知られざる裏面に迫る――.

 藩置県後の地租改正により年貢制度は消滅し,代わりに農民に土地所有権を認め地価の3%を納税させることとなった.しばらくの間,政府は俸禄に相当する家禄を,肩代りして華士族に支給していたが,金禄公債を一時に交付することによって,領主・公卿・武士らへの家禄支給をすべて打ち切り,公債を交付することを令した(太政官布告108号).当時の財政支出の約1/3を占めた封禄の支出はそのまま放置できない重大な財政問題であったため,かつての華士族の特権であった禄を強制的に取り上げる「秩禄処分」は無期限の政府支出を回避することが可能となったのである.

 公債の利子率は上級武士(220石以上)5%,中級武士(22-220石)6%,下級武士(22石以下)が7%だったという.しかも,公債は毎年抽選で選ばれたものが順次額面通りの金額を受取る仕組みであった.大半の武士は22石以下しか保有していなかったため,平均29円5銭の年収――大工の年収の1/6ほどにしかならない額――ではまったく生活が成り立たず,家禄奉還者は13万5000余に達した.

 本書は,秩禄処分という改革により支配身分の特権はいかにして解消され,没落した士族の苦難がどのようなものであったかを述べる.金禄公債証書を元手に商売を始める士族もいたが,平身低頭や商売の駆引きに不慣れで多くは破綻に追い込まれる.新聞には「平民の厄介」「士族に対する家禄は,給金でも褒美でもなく,御情の仕送り,貧院の寄付」とまで書き立てられる始末で,1876年の秩禄処分廃刀令により,既得権層としての領主・武士層は消滅し封建支配層の「去勢」は決定的となった.

 無産階級かつ知識階級でもあった士族を資本主義の確立,すなわち殖産興業における生産関係に置くためにも,金禄公債証書は,売買可能で払い戻しを受ける前に商人に売却されていく.一方,金禄公債証書は銀行設立にも出資利用できたことから,政府は積極的に士族授産に銀行設立を勧奨し,1879年12月に国立銀行設立免許が停止されるまでに153の国立銀行の各地誕生に結びついていった.

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原題: 秩禄処分明治維新武家の解体

著者: 落合弘樹

ISBN: 978-4-06-292341-5

© 2015 講談社