アメリカの独立を「理」と「利」の両面から大胆かつ鋭く論じたトーマス・ペイン(1737‐1809)の『コモン・センス』(1776)は,刊行されるや空前のベストセラーとなり,その半年後に発表された「独立宣言」の内容に多大な影響を与えた.歴史を動かしたまれな書物の一つと評価されている思想史の古典.「厳粛な思い」「対話」「アメリカの危機」を併収――. |
本書は,1776年1月フィラデルフィアにおいて匿名で出版されたわずか47ページのパンフレットである.クェーカーのコルセット職人の子としてイギリス,ノーフォークに生まれたトマス・ペイン(Thomas Paine)は,ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin)のすすめで渡米し大衆ジャーナリズムの世界に身を置いた.「ペンシルベニア・マガジン」の編集に携わり,イギリスの政治の君主制・貴族制的な要素を批判し,大衆の心をつかむ.人々の「常識」に訴える簡潔な文体やレトリックで,アメリカ合衆国独立の必要性を訴えたペインは,イギリス領アメリカ諸植民地の独立を植民地の利益と世襲君主制打破の意義と結びつけた.
もうイギリス憲法にはうんざりだ.なぜかというと,王政が共和政を毒し,王が下院を独占したからだ.イギリスでは国王は戦争をしたり,官職を分配したりするほかは,することはほとんどない.はっきり言えば,王がやっているのは国民を貧乏に追いやったり,仲たがいさせたりすることなのだ.一人の人間が一年間に八〇万ポンドをもらい,おまけに崇拝されるとはなんと結構な職務ではないか.神の目から見ると,これまでの王冠をかぶった悪党全部よりも,一人の正直な人間のほうが社会にとってずっと尊いのだ
イギリスの立憲君主政は「二つの暴政」の汚い遺物――国王という君主専制政治の遺物と上院という貴族専制政治の遺物――が新しい共和政的要素と混じり合ったままであることを冒頭で指摘する.世襲の君主を拝しながらの貴族院があり,庶民院も一部の有産者からのみ選出されているイギリス民主主義は,権力の濫用を許す腐敗を否定していない.「常識」を堂々と訴えるペインの議論に,ジョージ・ワシントン(George Washington)はアメリカの分離独立に確信の念を新たにし,独立賛成を決めかねていたニューヨーク州議会議員など,日和見主義者や穏健主義者の支持と動員を確実に促した.
社会はわれわれの必要から生じ,政府はわれわれの悪徳から生じた.前者はわれわれを愛情で結合させることによって積極的に幸福を増進させるが,後者は悪徳を抑えることによって消極的に幸福を増進させる.一方は仲良くさせようとするが,他方は差別をつくり出す.前者は保護者であるが,後者は処罰者である
当時の植民地人口が約250万人の時代に,3か月間で12万部,最終的には50万部を売ったという推定から,識字層のほとんどはペインの論じる「政治体制の刷新」を部分的にせよ通読し,盛んに議論したということだろう.米国独立戦争の理念は,ピルグリム・ファーザー以降,社会契約の理想を「これまでに存在した,王冠をかぶったすべての暴君」よりも,1人の正直な人間の方が社会にとって価値があると考える自治社会を支持すべき革命的思想の問題であるとペインは力強く論じ,人民の支持なき王の「神聖性」を否定した.大陸会議も1776年5月各植民地に新政府設立を勧告,バージニアなどで新憲法制定が形となる.
さらにペインは,当時の植民地経済を分析して独立後も十分に自立できることを述べた.アメリカのみならずフランスでも多数の読者を得たペインは,植民地支配から独立を果たした新興諸国ベネズエラ,エクアドル,メキシコなどにも広く知れ渡るようになる.1787年にはヨーロッパに渡り,『人間の権利』(1791~1792)を発表してフランス革命と共和政体を擁護した.1792年フランス市民権を与えられたが,マクシミリアン・ロベスピエール(Maximilien François Marie Isidore de Robespierre)と対立,ジャコバン政権下で投獄され,ロベスピエールの失脚によってアメリカ公使に救出された後,1802年再びアメリカに渡ったが,人々にはすでに忘れられ,貧窮と孤独のなかで晩年を過した.
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Title: COMMON SENSE
Author: Thomas Paine
ISBN: 4003410610
© 2009 岩波書店