品格ある執事の道を追求し続けてきたスティーブンスは,短い旅に出た.美しい田園風景の道すがら様々な思い出がよぎる.長年仕えたダーリントン卿への敬慕,執事の鑑だった亡父,女中頭への淡い想い,二つの大戦の間に邸内で催された重要な外交会議の数々…過ぎ去りし思い出は,輝きを増して胸のなかで生き続ける.失われつつある伝統的な英国を描いて世界中で大きな感動を呼んだ英国最高の文学賞,ブッカー賞受賞作――. |
文明国を自認していた英国の栄光と凋落.往時のダーリントン・ホール執事スティーブンスは,時代の「目撃者」となった記憶を噛み締め,1956年の美しい田園地帯を新主人の車で走行する.名士が英国政治と外交に内密ながら影響力を揮った時代,それは第一次大戦からナチスの台頭までの1920年代から30年代にかけての期間である.スティーブンスの内面を露にする独白は,英国の繁栄と落日を穏健な執事として傍観した証言となる.
あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれない――そう思うこともありましょう.しかし,何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い,それを試みるだけで十分であるような気がします.そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり,その覚悟を実践したとすれば,結果はどうであれ,そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう
ダーリントン・ホールでは非公式の国際会議が催され,気高きダーリントン卿への忠誠を誓った日々が思い起こされる.世襲であることに葛藤がないといえば嘘になるが,偉大な執事を長年務めた父への思慕,女中頭との協調と対立,それらを超えた共感.世界に先駆けた英国のアドバンテージは,くさぐさの面で米国に譲歩することが確実視されている1950年代.しかしスティーブンスが頑なに信じるのは,英国の「品格」のたおやかさとしなやかさ.真に価値のあるものは,自身に「老い」が忍び寄ろうとも,厳然と存在するという信念.
人生が思い通りに行かないからと言って,後ろばかり向き,自分を責めてみても,それは詮無いことです.私どものような卑小な人間にとりまして,最終的には運命をご主人様の手に委ねる以外,あまり選択の余地があるとは思われません.それが冷厳なる現実というものではありませんか
黄昏れた残照の中で滲む涙は,職業への矜持が幸福の定義を形成していた省察に他ならない.大英帝国の衰退がダーリントン・ホールの憔悴,ダーリントン卿の失脚に象徴されていく.しかし堅忍不抜の態度で偉大な執事たろうとするスティーブンスの「抑制力」は,旅の終わりに一つの確信を導き出すのである.それは,やはり執事として新たな主人に仕え続けるという必然の選択.斜陽に佇む老執事の慎ましやかな気品というものが,英国小説に引き継がれてきた独特の感性の上に成立している.その印象と余韻が確かに残る静謐な小説である.
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Title: THE REMAINS OF THE DAY
Author: Kazuo Ishiguro
ISBN: 9784151200038
© 2001 早川書房