▼『わたしのいもうと』松谷みよ子;味戸ケイコ[絵]

わたしのいもうと (新編・絵本平和のために)

 いじめによって傷つき,登校もしなくなった私の妹は心を閉ざしてしまった.差別こそが戦争へつながると訴えかける絵本――.

 固,強忍,強靭.「つよさ」とは,「強さ」だろうか.この字は固い殻に覆われた甲虫を字源とすると聞く.では,人のつよさとは,固さが求められるものだろうか.「勁さ」とも書く.2本の棒の間に張りつめた縦の糸,それが力を生んでいる.しなやかな力の生む強さ,それは固さだけからは生まれない.ときに拡がり,縮み,受け流す.そのようなつよさを持つべきだと,人は言う.「大人こそ絵本を」運動を手がける柳田邦男は,1冊の絵本は生涯で3度読むべきだ,と説いた.はじめに絵本と出会い,誰かに伝えるために読み,そして人生の後半に差し掛かったときに読み返す.それが「座右の絵本」になるのだと.絵本は,話がわかりやすく目の前に繰り広げられる良さをもっている.しかし,絵本の効能はそれだけではない.磨き抜かれた語彙が端的に語りかけてくれる.しかし,それが端的ではなく最適な表現形式なのだったと,物語を理解して初めて気づくのだ.

 第2次大戦中,著者は信州に疎開していたという.10代後半の多感な頃だ.彼女は本当は,小説家になりたかった.だが,書けない.どうしても小説を書けない.父は弁護士だった.それも四国の高松事件や皇太子(後の昭和天皇)狙撃事件の弁護団に加わったこともある凄腕だった.著者が11歳の時に父は他界するが,「政治よりも芸術が尊い.だから何かを創る人になりなさい.しかも一流でなければ駄目だ」というのが口癖だった.芸術の創作者になりたいと考えていた著者は,小説を書くことができなかった.なぜなら,言葉で人を傷つけるのが怖かったからだ,と後に語っている.2006年11月から12月にかけ,『朝日新聞』で「いじめ(られ)ている君へ」という特集が組まれた.各界の識者がいじめについての見解を700字程度でまとめるという連載だった.12月5日に著者も寄稿している.本書の初版は1987年.2007年1月で46刷にも版を重ねている.ざっと見積もっても,すでに15万部が世に出たことになる.

 「わたしのいもうとの話を聞いてください…」という序文から始まる1通の手紙を受け取ったことが,本書が生まれるはじまりだった.手紙は,いじめによって心を閉ざし,命を断った妹について述べられていた.著者は,1979年に『私のアンネ=フランク』を書いた.手紙の主は,その絵本を読んで自分の妹のことを知らせてきたのだった.著者の脳裏には,強烈な思い出がこびりついていた.かつて,自分の存在を周囲から執拗に否定されてきた体験にまつわるものだった.手紙は,「わたしをいじめたひとたちは,もうわたしをわすれてしまったでしょうね」という妹の遺書にまで言い及んでいた.「弱者を虐げる,そうした差別こそが,戦争の温床となるのではないでしょうか」と,手紙は結ばれていた.そこから本書に取り掛かるのだが,その前に詩を作っている.

どうか石を投げるのはやめてくれ 君たちには遊びでも わたしたちには いのちの問題なのだから わたしはいつも 心のなかでさけぶのです どうか やめて おねがいだから わたしには いのちの問題なのだから

 叫んでいるのは,戯れに池のカエルに向けて石を投げる子供に対して訴えるカエルである.イソップ童話にこの寓話があることを著者は想起したのだった.本書は,偕成社の[絵本平和のために]シリーズに所収された.後ろを向いて立つ小学校4年生の女の子は,決してこちらを振り向いてくれない.うつむき,しゃがみこんで顔を下げたままだ.その影が晴れることはない.転校した学校で言葉遣いを笑われ,くさいぶたといわれ,配る給食を受け取ってもらえず,遠足先でも独りぼっち.やがて妹は学校へ行かなくなる.食事もとらず,口もきかず,やせ衰えた妹は,母親の必死の看病で一命を取り留める.しかし月日は流れ,妹をいじめた子達は中学生になり,やがて高校生になり,学校へ通う姿が見られるようになるのだが,妹は身じろぎもせず部屋で独り過ごすのだ.そしてある日,妹はひっそりと息をひきとる.松谷の元に届いた手紙に記されたメモが,本書の最後のページだ.

わたしを いじめたひとたちは

もう わたしをわすれてしまったでしょうね

あそびたかったのに

べんきょうしたかったのに

 44刷.15万部.絵本としての発行部数の健闘が,これほど物悲しく思えたことはない.いじめている方はすぐに忘れても,いじめられた方は忘れられるものではない.そのことの恐ろしさを伝えようと本書の執筆に取り掛かった著者の本音は,この本を「いじめなどがなくなり,忘れ去られる本であってほしい」と願う.ある条件が整うと,人間は共通の敵を作り出して攻撃するという本性がある.それによって連帯感が強まり安心を得られるわけだ.そこからいじめの「加害者=被害者論」が飛び出すことになる.そこからさらに転じて,「いじめられることのないように」「少々のことがあっても跳ね返せるように」と奇妙な理屈が生まれてくる.「いじめられる側にも問題がある」というのは論外だ.個性の重視・尊重ということが語られる一方で,いじめの原因がされた側にあるというならば,それは子どもに個性を殺せというに等しい.「言葉がおかしい」「足が遅い」「かわった服装」どれも立派な個性ではないのか.

 ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer)は,「共苦(Mitleid)」という概念の構築に努めた.人の味わう苦しみというのは,誰に降りかかっても大方の場合は同じような苦しみをもたらすものなのだ.たとえば,病苦,貧困,差別,絶望,圧迫,脅迫,痛みなどだ.そこでショーぺンハウアーは,それらの苦しみを理解し共に同調しようとする心の働きを,「共苦」と名づけた.苦悩の理解の前提になるのは,大多数にとってもそれが負の出来事となると共通的に知っておくべきだということだ.いわば,苦しさに敷衍性が認められるべきなのであって,そこに一定の法則があるだろうと考えたということだ.この概念は,ここから特有の「ペシミズム」にシフトしていく向きもあるが,「相手は苦しいだろうな」「つらいだろうな」と想像する力をもてるのであれば,次に思い至る段階は見えてくるだろう.それは,「自分も逆の立場なら苦しむだろう」ということになる.普通は苦しいことは嫌なもので,立場を置き換えて考えられる想像力が先にたつならば,興味本位でからかい,いじめるということの重さに対抗できるかもしれない.

 人はつよくなければならない,という強迫観念には,困難を打ち倒す強靭さが求められるといってよいだろう.そのつよさは「強」さではなく,「勁」さであろうことは書いた.しかし,「いもうと」が産まれたときには,家族はどんなに喜んだろうか,初めて言葉を発し,初めて自分の足で立ち,親に向かって自分の足で歩いたとき,親はどんなに幸せだっただろう.そのようなことを想像する力のなさ,それこそが大多数と少数派の間に楔をうちこむ.松谷のメッセージを集約させるなら,それに尽きるだろう.人が死を選ぶということは,自らその生育のこよみに終止符を打ち,もう戻ってこないのだということが本書によって重く提起される.

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原題: わたしのいもうと

著者: 松谷みよ子 ; 味戸ケイコ[絵]

ISBN: 978-4-03-438050-5

© 1987 偕成社