▼『エンタテインメント・ビジネス』秋山弘志,北谷賢司

エンタテインメント・ビジネス

 ローリング・ストーンズマイケル・ジャクソンなど,世界的大物アーティストの巨大コンサートを仕掛ける華やかなライブ・エンタテインメント・ビジネス.しかしその舞台裏では,プロモーターやマネジャー,弁護士や会計士らがビッグマネーを巡って熾烈な戦いを繰り広げている.本書は,特に外国人アーティストを招聘する仕事,通称「呼び屋」の世界に飛び込み,数々の失敗と苦難を体験して,ついにノウハウを手にした2人が成功の秘訣を綴ったもの――.

 行ビジネスに位置するエンタテインメント・ビジネスを扱った本書は,評論家やジャーナリストが業界を逐一調べ上げてまとめた類のものではない.2人のプロモーターが著者となり,エンタテインメント・ビジネスのノウハウを俎上に乗せたものである.秋山弘志は株式会社後楽園スタヂアム(当時)の興行企画部長,北谷賢司はコミュニケーション学とメディア産業を専門とするアメリカの大学教授だった.その2人が「呼び屋」稼業に足を踏み入れてから,10年が経過した.その間の成果を残しておく意味で,本書は著された.

 エンタテインメント・ビジネスは,「時間消費型のビジネス」と考えることができる.娯楽を提供する企業が顧客を維持・獲得するためのビジネスを展開しており,その興行形態によってビジネスの産業のあり方も大きく違う.秋山と北谷の提供するエンタテインメントは,典型的な「イベント型のビジネス」ということができる.ドル箱スターを日本に招いてライブを開催できるよう,スター及びその代理人との交渉を行い,イベントを成功させる.そのプロモーターを秋山と北谷が務めるわけである.アーティストやスポーツ選手の周囲には,刺激とカネを求めて,多くの人間が群がってくる.要するに,彼らの欲望とサイフの橋渡しをする仕事がライブ・エンタテインメント・ビジネスであり,著者らは表の世界のバイプレイヤーがメインアクトを務める舞台と「呼び屋」の業務を理解している.

 興行の世界では,会場のことを「箱」という.ドル箱の箱だ.観客は,その箱で魅力的なイベントが催されることを確約されていることを条件に,チケットを購入する.当然,箱にもランクがある.100人単位の客を収容できるのが「クラブ」,2,3000人単位が「ホール」,1,2万人単位が「アリーナ」,それ以上の収容規模なら「スタジアム」といった具合だ.日本に最大規模のスタジアムが登場したのは,1988年である.天候にかかわりなく5万人収容のスタジアムという,当時の感覚からいえば怪物のような「箱」が誕生した.いうまでもなく,東京ドームがそれであった.

 ローリング・ストーンズThe Rolling Stones),マドンナ(Madonna),マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson),マイク・タイソン(Mike Tyson)――東京ドームを舞台に,秋山と北谷が招いたビッグアーティストの一部だ.ほかにも,NFLの公式ゲームも彼らは手がけたことがある.このことがいかに骨を折る仕事だったのか,それは東京ドームの巨額の維持費にかかっていた.そもそも,東京ドームはその前身の後楽園スタヂアムを建築主として,1985年に竣工された.ところが,完成当時のドーム維持費は,金利負担を含めて1日あたり2500万円にも達していた.野球試合でドームが埋まるのは,年間150日に満たない.残りの200数十日をどう活用するか.この期間を無駄にすれば,1日2500万円の赤字が生じるという,恐ろしい状況が待っている.興行ビジネスに早くから携わっていた秋山は,巨大な箱の経営陣に加わっていた.開業3日目にしてタイソンの世界ヘビー級タイトルマッチの招致が決まり,同年にはミック・ジャガー(Sir Michael Philip "Mick" Jagger)のコンサートが開催された.これらのイベントの注目度は非常に高く,1年でドーム入場者1000万人を突破することに成功した.

 北谷は,1983年にはインディアナ大学テレコミュニケーション学部の准教授となっていた.同大はメディア経営の研究で知られている.その頃,日本では第1次ケーブルテレビブームに沸いていた.だから,北谷に興味をもつ企業は少なくなかったのである.しかし,北谷は商社やテレビ局,電機メーカの誘いかけにはどうも気が乗らなかった.CATVはまだ海のものとも山のものともわからぬメディア開拓分野だったので,北谷としても慎重にならざるを得なかったのだ.後楽園スタヂアムも,北谷に興味をもった企業の1つだった.興行担当の岩堀行宏と秋山は,北谷を訪ねて尽力を乞う.その真摯な態度に,北谷は秋山を信頼できる人物と判断する.秋山からの報告を受けた後楽園スタヂアム専務の林友厚(後の東京ドーム社長)は,北谷を専務に迎えることを決め,そこから秋山と北谷の二人三脚は始まるのである.東京ドームの観客席を埋めるだけのパワーをもつエンターテイナーを呼ばなければならない.それが,2人に突きつけられた命題だった.ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンとの姉妹施設提携は,その後のアーティストとの契約に箔をつけた形となる.

 マジソン・スクエア・ガーデンは,スポーツアリーナの収容力が2万人と,まさしく「アリーナ」レベルの施設だった.しかし,一方で."世界で最も有名なアリーナ"の異名をとる施設でもある.NBAのバスケットボール,ロックミュージシャンなどのコンサート,共和党の党大会,ボクシングなどが年間400以上行われ,「格闘技の殿堂」としての認知度も抜群だ.東京ドームを,このスクエア・ガーデンと並ぶ殿堂にしたいと後楽園スタヂアムは考え,姉妹提携戦略に乗り出した.その効果はすぐに現れた.それまで1度も来日公演を行っていない大物が,代理人を通じて秋山らにコンタクトをとってきた.ローリング・ストーンズである.

 その前に,プロモーション・ビジネスの収益源について知っておこう.このビジネスには,大別すると4つの収益源がある.公演チケットの売上,スポンサー企業からのスポンサーシップ(スポンサー料),マーチャンダイジング(物販),そしてテレビやラジオ向けの放送権料である.このうち,特にマーチャンダイジングに秋山らは注目していた.これは,要するに「会場でしか買えない商品」を扱うビジネスなのだ.マリナーズ・スタジオに行けば,イチロー(Ichiro)のグッズがあふれかえっている.武道館のジャニーズ公演の日は,商品化された男の子のタオルや団扇をふりかざし,興奮してわめき散らしている女性の姿をとくと拝むことができる.

 これらの商品の強みは,原価率が低いにもかかわらず,その価値を認める一定集団においてはブランド的価値があるため,大量生産・大量消費型の流通に乗せることができれば,ボロがつくほど儲けを出すことができる.欧米ではすでに,その手法によって大規模なロックコンサートの収益の大半がマーチャンダイジングの成否にかかっていた.秋山が目をつけたのは,アーティストのマーチャンダイジングを専門とするヨーロッパの企業である.中でもカナダの新興勢力,ブロッカムは光っていた.コンサート興行会社,BLCエンタテインメントの系列化にあるブロッカムは,スタジアムクラスのミュージシャンの連中をマーチャンダイジングとして扱っていたのであった.

 来日すれば,東京ドームを満杯にすることのできる連中ばかりだ.後楽園スタヂアムをブロッカムの日本の代理店に指定することを目的に,交渉を始めなければならなかった.このブロッカムに,秋山と北谷をうならせるプロモーターがいたのである.トロントにあるブロッカム本社を訪ね,当時のBCLのトップ,マイケル・コール(Michael Cole)に会った.この時はまだ,秋山も北谷も,コールがライブ・エンタテインメント業界に激震を与える画期的な手法を打ち出す辣腕であるとは,気づいていなかった.

 まず度肝を抜かれたのは,コールがストーンズの1989年夏の興行権をおさえている,と明らかにしたことだった.ツアーの予定があるかどうかも含めて,当時のストーンズの動向は大手プロモーターにも諮りかねていた.1980年代初めのコンサートを最後に,彼らの音楽活動は停滞していたし,メンバー内の不和も報じられていたからだ.一時は,ストーンズは実質的に解散状態にある,とまでいわれたくらいである.そのツアーの興行権を握っている会社との提携を結ぶことに成功できれば,これほど心強いことはない.

 コールが考案したのは,ツアー全体をまとめて買い上げる「マスター・プロモーター」という方式だった.つまり,従来のライブツアーは,アーティスト側のツアー・マネージャーが日程を組む際に地域ごとにいる大物プロモーター(リージョナル・プロモーター)と交渉し,ツアーの流れを決めていた.そして,今度はリージョナル・プロモーターが州や都市単位のプロモーター(ローカル・プロモーター)と交渉し,具体的な日程を詰めていく.これが,一般的なツアーの枠組みとその流れだった.ところが,コールはリージョナル・プロモーターを介せずに,ローカル・プロモーターと直接取引きする手法を編み出したのだ.

言ってみれば,商品の全量を一社で押さえ,地域ごとの問屋を排して全国の小売店と取引するという,流通革命である.既存のリージョナル・プロモーターからは不満が出たが,彼らには複数の都市の興行権を売ることで話をおさめた

 既存のプロモーター会社には資産がなく,マスター・プロモーターの実現には資金難が立ちはだかることも,コールは逆手に取る.大手企業や有力資本家と組んで,興行をビッグビジネスに転換して見せた.BLC社とは,カナダの大手ビールメーカー,ラバットと,NHLの名門チームのオーナーであるラバッド一族,そしてコールの頭文字をそれぞれ取ったものだという.このマスター・プロモーター方式の第1号となったのが,秋山と北谷がウェットにかかわったストーンズの「再結成」ツアーだった.コールがいなければ,この企画は立案されたとしても,立ち消えになったに違いない.この経験が2人に与えた影響は,計り知れないほど大きかった.

 マイケル・コールは天才的な才覚で,エンタテインメント・ビジネスに変革をもたらした.それに影響を受けた秋山と北谷は,世界初の大手インハウス・プロモーター(会場専属プロモーター)としてこの業界に風を吹き込んだ.そのような自負が2人にはある.彼らが資本の論理で興行ビジネスの企業化を成功させたと胸を張る背景には,それなりの根拠がある.それは,アメリカの企業,SFXエンタテインメントの躍進に認めることができるだろう.ロバート・F・X・シラーマン(Robert F.X. Sillerman)が育て上げたこの会社は,積極的なM&Aによって急成長を遂げた.エルヴィス・プレスリー(Elvis Aron Presley)の名前の使用権や,テネシー州メンフィスにあるグレースランド邸宅の管理運営権,肖像権,音楽・テレビ番組・映画からの収入権を含む資産の85%を1億ドルで買収したことでも有名だ.

 コールと同じく,ライブ・エンタテインメント業界にいち早く目をつけたのがシラーマンである.それまで60以上ものラジオ局を擁するメディアグループを率いていたシラーマンは,ラジオ局の大半を売却してライブ・エンタテインメント業界に乗り出した.SFXエンタテインメントを築き上げるまでに数年しかかかっていない.その代わり身の速さには驚かされるばかりだが,2年間で売り上げを96倍(920万ドルを8億8400万ドルに)従業員数を4倍(325名を1300名に)にしたのはものすごい.

 リージョナル・プロモーターを数多く傘下におさめたシラーマンだが,音楽興行の世界では,自身が一大リージョナル・プロモーターとして君臨するという,これまでにない存在の企業として定位置を得た.興行ビジネスの企業化という意味では,秋山と北谷はSFXエンタテインメントより以前から,会場専属プロモーターとして東京ドームの維持発展に努めてきた.その流れを世界に先駆けて育んできたというのが,彼らの最大の誇りとなっていることだろう. 「東京ドームといえばミスター・アキヤマとドクター・K」というのが,ヨーロッパの同業者の共通認識となった.Kとは北谷のことだ.彼はウィスコンシン大学でコミュニケーション学の博士号を得てもいる.東京ドームはその後,1998年に来場者1億人を突破した.1988年から10年間でこの数字ということは,年間で平均1000万人の来場者数を維持してきたことを物語っている.

 国内の興行の活力は,プロ野球の入場者数現象とともに乏しく,国外からの有力アーティストの数も少なくなってきた.スーパースターの不在という病に,国内最大級のスタジアムも悩んでいるのが現状となっている.マイケル・コールのような天才型のプロモーターの登場,あるいはSFXエンタテインメントに匹敵するような巨大資本の後押しで,エンタテインメント・ビジネスが息を吹き返すことが実現できたなら(もはや可能性は限りなく低いが),新たな興行ビジョンが模索され始めるだろう.

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原題: エンタテインメント・ビジネス

著者: 秋山弘志,北谷賢司

ISBN: 4104335010

© 1999 新潮社