▼『オリンピア祭』堀口正弘

オリンピア祭―古代オリンピック (近代文芸社新書)

 古代ギリシアでは,神を祀り音楽と肉体を奉納する祭礼が各地で行われていた.取り分けオリンピア地方のゼウス神の祭典は規模が大きく,多くの人々を集めた.ゼウスに奉納した肉体競技がやがて古代オリンピックと呼ばれるようになった.その興亡の詳細とは――.

 ポーツの祭典は,文化的な営みである以前に,きわめて政治的な活動である.歴史的生成過程から,そう判断せざるを得ない.都市オリンピアで,競技の祭典は公式には293回開催された.前776年からローマ皇帝の勅令で廃止される393年までの期間ということである.ギリシア人は,オリンポスの神々に人間の理想的な姿を託して崇めた.完全なる肉体美と豊かな感情の融合,そこに美の極致が求められたのであった.祭典の時期は7月から9月(当時のギリシアの暦で1月から3月)の盛夏に開かれた祭典の期間中,「聖なる休戦」としてギリシア国内では3ヶ月間の停戦が慣例化していた.

 前5世紀ギリシアがペルシアに勝利し,アクロポリスの丘の上にパルテノン神殿を建設した時期と,オリンピア祭典の最盛期が一致していると本書にはある.陸上,水泳,体操,レスリング,フェンシングなど9競技43種目.競技の優勝者にはオリーブや月桂樹の冠と名声が与えられたが,威容の発揚のために,都市国家は不正手段を駆使した.審判の買収や談合試合が横行している.さらに優勝者は都市の名誉に貢献したことが讃えられ,生涯年金,税金免除,各種の特典が与えられたことも大きい.各都市がオリンピア祭参加に熱中するほどに,ゼウスに奉納する肉体祭儀の聖性は失われ,腐敗が進んだのである.

 古代オリンピックの衰退は,直接的にはローマ帝国に浸食してきた初期キリスト教の圧制であったとされる.だが,純血のギリシア人で市民権を有すること,神に対する敬虔さなどを出場資格に厳しく問う伝統と格式も,立ち枯れつつあったところにキリスト教以外の異教祭の禁止,「聖なる休戦」協定の無効化が確立されていったのであろう.426年テオドシウス2世(Theodosius II)はキリスト教以外の神殿をすべて破壊し,荒れ果てた神殿はさらに焼き払われた.

 522年と551年の大地震で建造物は倒壊,クラディオス川とアルフェイオス川の氾濫でオリンピアは泥と土砂で完全に埋没したという.19世紀に遺跡発掘が本格化し,ペロポネソス半島北西部エリス地方に,古代オリンピック発祥の地が実在したことが知れ渡るようになるまで,スポーツ祭典の聖地は眠り続けていた.現代のオリンピック大会開催期間中,主競技場でともされ続ける五輪聖火は,この遺跡の中にあるヘラ神殿で,ギリシアの巫女に扮した11人の女性が凸面鏡で太陽光線を集め,採火したものである.

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原題: オリンピア祭―古代オリンピック

著者: 堀口正弘

ISBN: 477337263x

© 2005 近代文芸社