▼『かたみ歌』朱川湊人

かたみ歌 (新潮文庫)

 不思議なことが起きる,東京の下町アカシア商店街.殺人事件が起きたラーメン屋の様子を窺っていた若い男.その正体とは……「紫陽花のころ」.古本に挟んだ栞にメッセージを託した邦子の恋が,時空を超えた結末を迎える「栞の恋」など,昭和という時代が残した“かたみ”の歌が,慎ましやかな人生を優しく包む.7つの奇蹟を描いた連作短編集――.

 想的な世界に寒気を誘う朱川湊人の構想力.現実から乖離した観念の支配する場に,読者を引き込む趣きは大きな魅力となっている.高度経済成長初期にあたる昭和30~40年代を舞台に,「アカシア商店街」はきわめて牧歌的.今ではシャッター通りとなっている商店街の多くも,かつては昭和の「息吹き」を庶民の生活から匂わせていた.「アカシアの雨がやむとき」を流しているレコード屋「流星堂」,芥川龍之介を老け込ませたような店主が鎮座する古書店「幸子書房」,看板娘のいる酒屋「サワ屋」,黄泉と現世の接点をもつという「覚智寺」.

 七つの短篇はアカシア商店街の個別の情景であるが,幸子書房の店主がテラーとなっていくつかの伏線を最終話で回収する.ウィリアム・フォークナー(William Faulkner)の描いた“ヨクナパトーファ・サーガ”と同じ装いで,エピソードの立体・重層的構造で響く通奏低音.ホラーのテイストは朱川作品に欠かせないが,ここではレトロな懐旧談の印象がより強い.高度成長期を彩った歌謡曲がふんだんに出てくる.

 はっきりと言及していないが,本書には金子みすゞの忘却と再発見に献ずる鎮魂歌がある.不遇な結婚で精神を消耗,愛児に多くの童謡を歌って聞かせた後に自殺した幻の童謡詩人.西條八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで称賛されたが,感性を生命力に転化することは叶わなかった.文学に関心と評価を寄せることのなかった夫は金子に投稿を許さず,彼女は睡眠剤カルチモンで自殺を遂げた.芥川の死因と同じ薬品である.夫が悔悟したならば,幸子書房店主と同様の懺悔をしたに違いない.金子がカルチモンを呷ったのは,下関にある上山文英堂書店の2階であった.

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原題: かたみ歌

著者: 朱川湊人

ISBN: 9784101337715

© 2008 新潮社