日本人の心を魅了する『忠臣蔵』.討ち入り成功を前提に描かれた「勧善懲悪」の物語から赤穂事件を解き放つ,大石内蔵助,堀部安兵衛らの行動・思想をリアルタイムの感覚で捉え,等身大の赤穂浪士と事件の真相に迫る――. |
江戸時代の写本,伝写記録で「演義」と化した「忠臣蔵」は,福本日南翁『元禄快挙真相録』,三田村玄龍『元禄快挙別録』など国民的人気を呼ぶ筋書きで,共感と復興を呼び起こした.大正デモクラシー運動の衰退期には講談や浪花節のラジオ放送でブームが起き,満洲事変以後は義勇をもって,国家や主君のために尽くす軍国主義の推進に利用された.赤穂藩国家老・大石内蔵助は120名の同士を率い,離脱者も続出し最終的に47名が幕府の不公平処罰に抗議した.
主君の敵討ちを果たす忠義と法治主義をめぐって,室鳩巣,佐藤直方ら当時の学者の間で是非論があり,荻生徂徠の意見が通り全員切腹が決定された.だが史実の背後から浮上してくる恥と道徳の両義からなる悲哀は変わらない.本書は,主観的な物語要素をできるだけ排し,主君と家臣団の主従関係,とりわけ親族関係に注目し4群ほどのカテゴリーにわけ考察しているのが興味深い.
赤穂藩主・浅野内匠頭長矩は奥州一関藩・田村右京太夫邸で即日切腹,お家断絶となった一方,高家・吉良上野介義央は御構いなしという幕府の処断を不服とした家臣らは,初めから一致団結して吉良を成敗しようとしたのではない.大石は家老として浅野家復興の方途を模索していたが,再興の望みが絶たれたときに堀部安兵衛ら急進派と合意し討入りを決行したのである.恥を忍ぶことで,不埒な振る舞いへの怒りを徴する.赤穂浪士が江戸本所の吉良邸に討ち入った元禄15年12月14日は1703年1月31日払暁である.討入り当日は晴れていたが,前日までの積雪が残っていた.
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原題: 赤穂浪士の実像
著者: 谷口眞子
ISBN: 4642056149
© 2006 吉川弘文館