▼『美しいアナベル・リイ』大江健三郎

美しいアナベル・リイ(新潮文庫)

 かつてチャイルド・ポルノ疑惑を招いて消えた映画企画があった.それから30年,小説家の私は,その仲間と美しき国際派女優に再会.そして,ポオの詩篇に息づく永遠の少女アナベル・リイへの憧れを,再度の映画制作に託そうと決意するのだが.破天荒な目論見へ突き進む「おかしな老人」たちを描く,不敵なる大江版「ロリータ」――.

 定上はただの変態,それを晦渋,深遠な心理描写で文学に高めたウラジーミル・ナボコフ(Vladimir Vladimirovich Nabokov)の『ロリータ』は,原稿を持ち込んだアメリカの4つの出版社すべてに断られ,パリのオリンピア・プレスでようやく世に出た.大学教養学部時代の同級生で映画プロデューサーの「木守」とアメリカ在住の国際女優「サクラ」に30年ぶりに声をかけられた「私」は,1975年に企画し頓挫した「ミヒャエル・コールハースの運命」の再始動を意識する.アメリカ,ドイツ,中南米,アジアの製作チームがそれぞれ製作し,原作者ハインリヒ・フォン・クライスト(Heinrich von Kleist)生誕200年祭――1977年――にあわせて一斉上映するという一大プロジェクトだった.

 高校時代の「私」は,郷里の松山で米軍情報将校が撮った「サクラ」主演の8mm映画「アナベル・リイ」を途中まで観ている.この名は,貧窮の中で早世した妻ヴァージニア・クレム(Virginia Eliza Clemm Poe)を追慕したエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)の詩篇アナベル・リイ」からとられている.ポーの死から2日後にこの詩は見つかっている.大江健三郎新潮文庫版『ロリータ』に解説を寄せているが,「私が17歳の時に出会った幻想のアナベル・リー,そして現実のアナベル・リーは自分から一瞬も去ったことがない,という認識」と述べている.

 アメリカ文化センターの豪華本で見つけたポーの原詩に魅了された大江は,本書でも「私」とその詩の出会いを松山アメリカ文化センターに設定.そこから測れるように,初期の実験的,前衛的な要素は後退し,近年の大江文学は私小説の装いによる機動的な物語を構成しているよう.30年前に児童ポルノ疑惑で断ち切られた「ミヒャエル・コールハース計画」は,四国で明治維新前後に起こった農民一揆の話に鞍替えとなった.8mm映画「アナベル・リイ」を最後まで観た「サクラ」は,自分を襲う性的虐待の実録となっていることを認識し,精神を病む.

 ナボコフの霊感と嗜好により,インモラルな“ペドフィリア”の観念が染みついてしまった語「ロリータ/ロリコン」.本来的にいうなら,倒錯をはらんだ美の追求は,露悪それ自体を超える.ところが本書では,その域に到達していないことを明かす描写になってしまっている.ポーが描き,大江も想像の中で追い求めてきたはずの「永遠の女性」なるものが,現実に苦悶し穢されてしまっているからだ.2007年の単行本刊行時の題は,「臈(らふ)たしアナベル・リイ総毛立ちつ身まかりつ」.文庫版より格段に文学的な香りが高く,本文と相互に照射しうる題名だった.

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原題: 美しいアナベル・リイ

著者: 大江健三郎

ISBN: 9784101126227

© 2010 新潮社