今世紀最大の発掘の一つ.再び白日の下に全容を現わしたイエス時代の大遺跡,聖書のヘロデ王の宮殿,それに立てこもった熱心党員最後の抵抗と全員玉砕,驚嘆すべき大ローマ帝国の攻城施設群,ヨセフス『ユダヤ戦記』の記述の正確さ等々,当時の宮廷と庶民の生活実態のすべてを明らかにする画期的発見の記録――. |
イスラエルの遺跡保護法は,あらゆる建設予定地において遺跡の発掘作業を行う必要がないかを事前に調査することを義務付けている.必要がある場合,イスラエル考古学庁の発行する発掘許可のもと,発掘作業が開始される.遺跡保護法により保護される発掘地区は,イスラエルに20,000箇所以上も存在する.エルサレムの南東,死海との間にひろがる不毛のユダヤ砂漠は,聖書では"ユダの荒野"として現れる.紀元前2世紀後半にマカベア朝の王たちが要塞を築いた地〈マサダ〉(アラム語「ハ・メサド[要塞]」)は,死海西岸に向かい1,300フィートの急峻からなる岩山地帯.ヘロデ王(Herod)が離宮兼要塞として改修し,難攻不落であった.ヘロデの死後,1世紀に古代ローマ帝国の支配に対してユダヤ人が反乱を起こした第一次ユダヤ戦争において,ローマ軍がエルサレムを陥落すると,熱心党員(ゼロテ)のユダヤ人反徒960人がマサダ要塞に籠城.73年ローマ軍の総攻撃を前にほぼ全員が自害して果てた.
マサダは,現存する最古のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)を擁するイスラエル考古学史上最大の遺跡であり,家具,古銭,食物,布片,巻物,碑文付き土器片などが出土している.自害した熱心党員のユダヤ人は,神ヤーウェの神聖政治を妨げる者に対し,同胞であれ死を賭しても戦う狂信的な共同体で連帯していた.ローマ軍に完全に包囲され,いよいよ総攻撃を待つ局面を迎えた時――水汲みのため外出していた女性2人と子供5人を除いて――,マサダに籠城する960名はローマ軍に捕らわれる辱めを拒絶し全員自決の道を選んだ.党の統率者エレアゼル・ベン・ヤイル(Eliezer ben Yair)の指導により,いくつかの食料貯蔵庫の食料には手をつけずにそのまま残された.それは,兵糧攻めに苦しんだ末の自決ではないことを証明する意思表示であった.著者イガエル・ヤディン(Yigael Yadin)の発掘グループは,数百本の矢が積み上げられ焼却されている跡を発見している.剣や槍といった白兵戦用の武器は,ごくわずかしか見つかっていない.高地の防衛戦に,弓矢がもっとも有効な武器であったことは疑い得ない.
ヤディンらは廃墟の灰の堆積から青銅の箱におさめられたシェケル銀貨6枚,また半シェケル銀貨6枚を発見した.ローマ軍の手に落ちないために隠された銀貨であることは明らかだが,シェケル銀貨がユダヤ人叛乱の時期の層位から発見されたのは初であったため,この発見は,イスラエル考古学史への多大な貢献となった.さらに『ベン・シラの知恵』ヘブライ語原本の一部,『エゼキエル書』羊皮紙の遺物など,聖書的,宗派的・外典的巻物を14点発見した.これらは,巻物の年代研究からすれば最も重要な発見であった.ユダヤ教では,神から授かった命を自ら絶つことは重罪であり,他人を殺害することも同じと考えられていた.そこで,全員の自害を完遂するため,ベン・ヤイルは人後に落ちぬ合理的手段を採用している.まず,兵士たちの中で家長から「くじ引き」で10人を選び,選ばれた者が家族全員を殺した.さらにくじ引きで1人を選び,その1人が残る9人を殺し,959人の同胞に生き残りがいないことを見届けた後,最後の一人は宮殿に火を放ち,愛する者たちの傍で我が身を刺し貫き死を遂げた.
ユダヤ暦ニサンの月(3~4月)15日夜の悲劇.この最終執行者はベン・ヤイルであり,他者を殺した兵士たちの罪はすべて自分が被る,と兵士たちの罪についての神の許しを請うたという.朝になり,要塞に総攻撃をかけたローマ兵たちは,おそるべき惨状と沈黙を前に困惑した.そのとき洞穴に隠れていた2人の婦人と5人の子供が這い出し,前夜に何が行われたかを叙述したのであった.本書は,フラウィウス・ヨセフス(Titus Flavius Josephus)『ユダヤ古記』および『ユダヤ戦記』による記述を,ヤディンらのマサダ発掘調査が史実として裏づけた功績の記録である.マサダの悲劇から1900年後,ユダヤ人はパレスチナの地に悲願のイスラエルを建国した.現在,マサダはイスラエル国防軍の入隊宣誓式の開催地である.「マサダは二度と陥落しない」――宣誓にはヘブライ語の建国スローガンが火文字となって激しく燃え上がり,ユダヤ民族の過去・現在・未来を物理的にも精神的にも継承する文化装置の責を果たしている.
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Title: MASADA
Author: Yigael Yadin
ISBN: -
© 1975 山本書店