世の中を震撼させた青酸カリ毒殺の天銀堂事件.その事件の容疑者とされていた椿元子爵が姿を消した.「これ以上の屈辱,不名誉にたえられない」という遺書を娘美禰子に残して.以来,どこからともなく聞こえる“悪魔が来りて笛を吹く”というフルート曲の音色とともに,椿家を襲う七つの「死」.旧華族の没落と頽廃を背景にしたある怨念が惨殺へと導いていく――. |
謎解きの鍵,没落貴族の子爵が奏でるフルートソロ曲は,連載されていた雑誌『宝石』にオリジナル楽譜が掲載される予定であった.しかし,片手の指を2本失ったキャラクターが演奏できないことが判明したため,お蔵入りとなっている.
本書は,華族の名誉欲,因習的な農村部での犯罪を扱った作品を多く著した横溝正史の代表作の一つ.弛緩した文体は常のことだが,設定上のミスが露呈したところに,推理小説としても詰めの甘さがある.帝銀事件と斜陽貴族という社会関心を呼ぶ好餌を扱ってはいるが,両者が関連付けられる必然性は弱い.
密室殺人のトリックは陳腐で,姑息な手段で怪奇趣味を装った怪人の秘密も特筆すべき点はなく,サスペンスの薄さも相まって,華麗であった一族郎党の末路に興味を喚起されることがない.他著『獄門島』のように,クローズド・サークルに類する作品のほうが目を引く.
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原題: 悪魔が来りて笛を吹く
著者: 横溝正史
ISBN: 4041304040
© 1973 角川書店