▼『すべては愛に』ギリアン・ヘルフゴット,アリッサ・タンスカヤ

すべては愛に―天才ピアニスト、デヴィッド・ヘルフゴットの生涯

 厳格な父にピアノを教えられ,幼い頃から才能を発揮.しかし結局父親には受け入れられずに精神を冒されたデヴィッド・ヘルフゴット.その苦難と安らぎにたどりつくまでを,魂のパートナーである妻が綴った感動の記録――.

 の本はあまり副題がよくない.デヴィッド・ヘルフゴット(David Helfgott)のことを「天才」とうたっている.本当だろうか?彼の演奏するセルゲイ・ラフマニノフ(Сергей Васильевич Рахманинов)のピアノ協奏曲第3番ニ短調(op.30, 1909)は,アメリカでミリオンセラーとなった.ボストンでの公演チケットは3日間でソールドアウトしたという.ロサンゼルスでは3時間,サンフランシスコでは2時間で売り切れた.デヴィッドは時代の寵児ともてはやされた.だが,この騒ぎを静観していた音楽家も少なからずいた.たとえば,中村紘子はこのときの様子をこう記している.

とにかくそのピアニスト,デヴィッド・ヘルフゴット氏の演奏は率直に言って素人みたいで,とても専門家たちの鑑賞に堪えるようなものではなかったのだ…中略…名演にもさまざまあるが,その名演の「さまざまな意匠」にすら飽きて,ひたすら求める「プラスアルファ」は「人間のドラマ」であり,感動を呼ぶ「人生」そのものになってきたのではないか *1

 アメリカの聴衆への軽い失望とともに,映画によって増幅されたピアニストの特異性,それが過度に芸術を侵食していくことを警戒した論理である.中村は,このようなデヴィッドの起こした旋風を「ヘルフゴット現象」と呼んだ.しかし,人間のドラマとは,芸術の高尚さや卑小さと果たして切り離すことができるものなのか.芸術家の背景を「プラスアルファ」と呼び,それが単なるオプションとして,若いピアニストの夢や情熱を奪い,音楽の純粋な感動を損ねる.その芸術家としての物悲しさは想像できる.技量的に不満足な対象が,優れた奏者よりも持ち上げられるというのではたまらない.音楽的感動を増長させるメディアの功罪を,芸術家の立場から指摘したという点で,中村の主張はおもしろい.

 ほかの同業者の批評はどういったものだろうか.

ひどく下手なピアニスト(ジュリアード音楽院のデービッド・ドゥバル教授)…中略…曲の解釈などというレベルの問題ではない.テクニックの問題でもない.それ以前に,音楽の流れをつくり出せないのだ.曲全体はおろか,1つのフレーズを一貫性のある音とリズムの流れとしてとらえ,表現する能力がない *2

 どうやら,デヴィッド・ヘルフゴットとは,いわゆる「天才型」のピアニストであるわけではないことは確かなようだ.

 デヴィッドは,オーストラリア出身のピアニストである.父のエリアス・ピーター・ヘルフゴット(Elias peter Helfgott)は,ユダヤ移民として5人の子をもった.デヴィッドは2番目の子だった.エリアスはポーランドのカミク,そこでユダヤ教会の指導者の息子として生まれたが,彼はユダヤ教を拒んでいた.ユダヤ人学校に行くこともせず,マルクス(Karl H. Marx)とエンゲルス(Friedrich Engels)に感化され,14歳のエリアスは東欧をさまよった.それからの21年間は謎に包まれているが,サーカスで働き,パレスチナで暮らし,1934年にオーストラリアのメルボルンに行き着いたことははっきりしている.

その時期,ユダヤ移民が生きていくうえで最大の関心事は,いわゆる「ゲットー」を脱出することだった.ほとんどのユダヤ人が,それには3つの方法しかないと信じていた.仕事で成功して金持ちになること,医者や弁護士といった専門職につくこと,そして音楽的才能に恵まれているか,あるいは音楽的才能に恵まれた子供をもつことだ

 これらのうち,エリアスの選んだ道はデヴィッドだった.本当は,自分が音楽的才能に恵まれていてほしかった.けれど独学でピアノとヴァイオリンを弾くことができても,それだけで人に必要とされるわけではなかった.そんな彼の長男,デヴィッドの鍵盤の叩き方は素晴らしかった.10歳でショパン(Frédéric François Chopin)のポロネーズ変イ長調「英雄」を全国音楽フェスティバルで演奏したとき,たてつけの悪いピアノが移動を始めてしまった.しかし,デヴィッドは演奏をやり遂げた.

生まれながらの演奏家であるデヴィッドは,並外れた集中力と天性のプロ意識を発揮して,椅子から立ち上がり,1つの音符も外すことなく演奏を続けながら動いていくピアノの後を追ってステージを横断していったのだ

 神経質そうなデヴィッドの写真が,地元の新聞に取り上げられるようになったのはこの頃からだった.大きな眼鏡に巻き毛.わずか12歳でのABC器楽声楽コンクール出場,バッハ(Johann Sebastian Bachニ短調コンツェルトやリスト(Franz Liszt)「ラ・カンパネッラ」を弾きこなす神童.彼の未来はバラ色に見えた.

 今のデヴィッドの演奏技術はお粗末なものだ,と評論家は口をそろえる.それでも,デヴィッドの才能の片鱗は垣間見える.深い旋律の余韻は美しいし,それがこの迷ピアニストから発せられることは事実なのだから,それは認めるしかない.ところが,デヴィッドの選ぶ曲はいずれも難解な曲ばかり.ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番ニ短調にしても,リストの「ラ・カンパネッラ」も,一筋縄でいくものではない.それでいて,ミスタッチが多く,リズムはばらばら.集中力もまるでだめ.形式的な演奏の締めくくり方すら会得されていない.「ラフマニノフだ,ショパンではない!ラフマニノフ!」…エリアスの恫喝がデヴィッドには今でも聞こえてくるのに違いない.今は亡きその父の怒声が.

 巨匠アイザック・スターン(Isaac Stern)は,40年ほど前にデヴィッドにピアノをアメリカで本格的に学ぶよう働きかけたという話.スターンの事務所は,そんな記録はないと否定しているが,本当のところはどうなのか.しかし,それほどの巨匠につくか否かはおくにせよ,どちらにしてもデヴィッドは渡米を父によって阻まれただろう.父がそれを認めなかったのだ.息子に難解な曲の奏者であることを求め,社会的にも成功を収めさせなければならない.しかも,それは父である自分の手ほどきによらなければならない.どのみち,デヴィッドの希望がやどる繊細な精神は,父の愛憎に引き裂かれることになる.

 デヴィッドは父への怒りを募らせている.おそらくそれは現在でも変わらない.精神に異常をきたし,精神病院を転々とした.父と同じように,その頃の彼の詳しい様子を知る者は限られている.放浪を続けながら,行く先々でピアノを見つけてはその腕前を披露してきたのだろう.デヴィッドはだれかれ構わず抱擁をするのが大好きだ.ハグだけでなく,目を半分閉じながらわーっと言葉をまくし立てているように見える.

こんにちは,いとしいギリアン.お会いできてうれしいです,いとしいギリアン.クリスからあなたがくると聞いて,そうだったね,そして本当にきてくれた.すばらしいよね?あはは!ふーん!今晩,リカードーズにきてくれるよね?いとしいギリアン.ぼくの演奏を聴きにリカードーズにきてください.今晩,きてくれるよね……リカードーズに,ね,いとしいギリアン

 1984年から数年間,ワインバー「リカードーズ」でピアノ演奏をする中で,デヴィッドはギリアン(Gillian Helfgott)と出会い結婚した.ちなみにどちらも初婚ではない.1971年にデヴィッドは最初の夫人と結婚生活を送っていたが,それが破綻してから10年以上,精神病院の暮らしを強いられていた.19歳のとき奨学金を得て,3年間ロンドンの王立音楽大学に留学した事実から,デヴィッドが鍛錬の場から隔絶されてはいなかったということはできる.しかし,アメリカ行きを閉ざされた彼の傷心はそれでも癒されなかった.

 彼のとめどないモノローグは,妄想から発せられていると疑えないこともないが,病名は統合失調症ではない.自閉症とも躁病とも違う.主治医はあえて言うと「分裂情動精神病」に近い,ともいう.つまり定型的な病ではないというのだ.天使の音楽というにはほど遠い.1997年のワールドツアーは,評判のわりに芳しくはなかった.それでも,デヴィッドの純真さが人の心を打つことは無視できない.そのことは,デヴィッドとギリアンに半生を映画化したいと持ちかけ,映画「シャイン」(1996)完成までに9年という期間を費やしたスコット・ヒックス(Scott Hicks)がよく知っている.

 アデレードでデヴィッドのコンサートを聴き,ヒックスはデヴィッドの物語を撮りたいと強く思った.それが後のヘルフゴット現象を呼ぶ作品になっていくのだが,実はデヴィッドが音楽に感動して打ち込んでいる姿が人々の感銘を呼ぶということ,その素晴らしさを伝えたいということまでは明確に打ち出されることがなかった.

 本書の第33章,「シャイン」は感動的だ.「親愛なるデヴィッドとギリアン…」から始まる手紙が全文掲載されて入る.デヴィッドの高校の同級生が,音楽好きの古い友人の映画化の話を聞きつけて夫妻に手紙を書いた.

あなたがたにぜひ伝えたかった.一人の人間が人生を取り戻すという物語がほかの人間にとってどれほど希望を与えるか.会ったことさえない何万人という人びとが失った人生を取り戻すうえで,それはとても大きな励ましになるのです.あなたがたの物語をそんな人びとに語ってあげてください.そうすれば,人びとは希望を抱けます

 これを読んで,ギリアンは泣いた.そうなのだ.ヘルフゴット現象は,芸術家の苦難をいたずらに取り上げて持ち上がったものではなかった.光を探し求める人々にとっては,降りそそぐ陽光になりえたのだった.

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Title: LOVE YOU TO BITS AND PIECES

Author: Gillian Helfgott , Alissa Tanskaya

ISBN: 4047912700

© 1997 角川書店

*1 中村紘子「ヘルフゴット現象」『文藝春秋』2001年3月号,p.80

*2 『ニューズウイーク』1997年3月19日,pp.76-77