▼『声の文化と文字の文化』W.J.オング

声の文化と文字の文化

 「書く」ことと,印刷およびエレクトロニクスの技術が,ひとびとの精神,文学,社会のうえにどのように影響を及ぼすか.本書は,文学と思考のなかにごく最近まで重く沈澱していた声の名残りをあとづけ,知的興奮をさそう新しい発見をとりあげる.その発見は,ホメロスの詩や現代のアフリカの叙事詩,およびその他の世界中の口承文芸に関するわれわれの理解を書き改め,哲学的,科学的な抽象思考の発生に関する新しい洞察を与えてくれる――.

 間の脳回路には,読字をプログラミングされた部位はなく,この回路は,後天的に獲得されたスキルで構成されるという.本書では,「声の文化」とはオラリティー(ことばの声と性格),「文字の文化」とはリテラシーのことである.3~5万年前に地上に出現したホモ・サピエンスが,その後「書かれた」スクリプトを用いたのは,今からせいぜい6,000年ほど前のことに過ぎない.さらに「文字を読む」能力をわれわれが発達させてきたのは,約2,000年前からである.ソクラテス(Sōkratēs)は,書き字を「死んだ会話」と呼び,話し言葉による「対話」と対極にある表現方法,と非難した.沈黙が殺す思考,という弊害である.紀元前数世紀には,ヘブライ語の筆名をコヘレト(「集会で話す人」「伝道者」の意)といい,ギリシア旧約聖書の匿名の教会者エクレジアステスが,筆記を口伝に依存していたことも同様である.

書くことを内面化した人は,書くときだけでなく話すときも,文字に書くように話す.つまり,かれらは,程度のちがいはあれ,書くことができなければけっして知らなかったような思考やことばの型にしたがって,口頭の表現までも組織しているのである.文字に慣れた人びとは,口頭で組み立てられている思考が,こうした型にしたがわないという理由で,それを素朴なものと考えてきた.しかしながら,口頭による思考は,きわめて洗練されたものでもありうるし,それ独自のしかたで反省的でさえありうる

 書くという行為は,「音声を,静止した空間に還元し,話されることばがそこでしか存在できない生きた現在からことばを引き離す」.声の文化から文字の文化に発展させてきた文明,その発展経路は,不可逆的なものと理解すべきなのだろうか.関連の通時的研究の厖大な知見を用いて,本書はその準拠枠を設ける.それにより,現在の文字文化リテラシーに対置される「思考と表現と声の文化」が考察される.文字を媒介としない口承と,文字の文化の明確な違いに気づいたのは,記述言語学や文化言語学の分野ではなく,ホメーロス(Hómēros)の文体表現は口誦詩である特殊性をもつという説を出したミルマン・パリー(Milman Parry)の功績である.

 セム族によって発明されたアルファベットは,はじめ子音文字と半母音文字しかなかった.フェニキア人を介してギリシアに伝わり,紀元前8世紀頃にギリシア人の手によってそこに母音文字が導入され,口伝の「記憶できるような思考」とそれを可能にする表現様式が廃れていく.ロマン主義以後,文字文化リテラシーとは異なる思考様式に尊厳回復と復権が行われるようになるが,「声の文化」に対する偏見を贖うほどではないだろう.テレビやラジオ,革新的なICT文化とホメロスを対照させ考察する準拠枠を作ったにせよ――人間が視覚と聴覚を活性化させながら,ニューロンをネットワーク化させる過程で――,"識字"という文化的な「系統発生」を可能にさせてきたイニシアチブは,ことさらに強い.

一次的な声の文化では,よく考えて言い表された思考を記憶にとどめ,それを再現するという問題を効果的に解くためには,すぐに口に出るように作られた記憶しやすい型にもとづいた思考をしなければならない.このような思考は,つぎのようなしかたで口に出されなければならない.すなわち,強いリズムがあって均衡がとれている型にしたがったり,反復とか対句を用いたり,頭韻や母音韻をふんだり,形容詞を冠したり,その他の決まり文句的な表現を用いたり,紋切り型のテーマ(集会,食事,決闘,英雄の助太刀,など)ごとにきまっている話しかたにしたがったり,だれもがたえず耳にしているために難なく思い出せ,それ自体も,記憶しやすく,思いだしやすいように型にはまっていることわざを援用したり,あるいは,その他の記憶をたすける形式にしたがったりすることである

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Title: ORALITY AND LITERACY

Author: Walter J. Ong

ISBN: 4938661365

© 1991 藤原書店